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2006.02.25

『タクシードライバー』(1976年)

この作品はマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の社会派異色ドラマです。
なおこの文はネタバレ全開となっています。

1976年 コロンビア アメリカ作品
原題◆Taxi Driver
DVDにて。画質は非常によいスカイパーフェクTVでの放映より全然よい画質です。これはDVDで買ってよかった。
プロット 思い込みが過ぎる話しのようです。
音楽 バーナード・ハーマン

キャスト
ロバート・デ・ニーロ→タクシー運転手のトラビス
シビル・シェパード→選挙活動家のベツィ
ジョディ・フォスター→12才半の売春婦アイリス
ピーター・ボイル→運転手仲間のウィザード
ハーベイ・カイテル→ぽん引きのスポーツ
レオナード・ハリス→大統領候補のパランタイン
アルバート・ブルックス→選挙活動家のトム
マーティン・スコセッシ→変わった客
スティーブン・プリンス→セールスマンのアンディ

マーティン・スコセッシ監督の演出はよいと思います。
脚本はポール・シュレイダー
バーナード・ハーマンの音楽は素晴らしい。キャリア最後を飾りました。才能のある人はいるのだと感心します。
スコセッシ監督の演出はあまりこれといった特徴はないのですが引きつけられます。不思議です。

ロバート・デ・ニーロ扮するトラビスはベトナム帰りで海兵隊出身とのこと。
眠れないのでタクシー運転手になります。タクシー会社の受付の男に海兵隊出身のとこだけは気に入られていました。
ポルノ映画を見に行くトラビス。映画館の売店の売り子に声をかけるがつれなくされる。これは伏線なのか単なる風俗描写なのか判断がむずかしとこです。

白いドレスのベツィを見てストークするトラビス。
追っ払われます。追っ払う男を演じているのが監督もやっているアルバート・ブルックスだったの?わからんかった。

タクシー運転手仲間がいる店に来るトラビス。
顔なじみが数人います。その一人にベテランのタクシー運転手を演じるピーター・ボイルがいます。もう髪の毛はさびしいけど若い。

ベツィのとこにナンパしに行くトラビス。
何故か交渉せ成立してその日の4時にコーヒーを飲むことになります。
その後に電話で映画を見に行くことになります。
ベツィの好きなクリス・クリストファーソンのLPを買うトラビス。
何でベツィはデートに応じたのか?興味深いとこです。

偶然に大統領候補のパランタインを乗せるトラビス。あなたの支持者ですと熱弁します。これはトラビスの本心なのでしょう。

ジョディ・フォスター扮する少女売春婦を乗せかけるトラビス。これが初めての出会いとなっています。ぽん引きにすぐタクシーから降ろされてしまいます。

ベツィと映画を見るトラビス。
スウェーデン映画で『Sometime Sweet Susan』という女体の神秘系ポルノのようです。当然途中で帰られてしまいます。その後をまめに電話をかけるが居留守で終わってしまいます。
しまいには怒鳴り込んでエンドとなります。結構情けない。

うるさい客を乗せるトラビス。
タクシーを止めてあのアパートの2階の端の窓を見ろ、私の女房が黒人といると。うるさくてしょうがない。しまいには女房を殺してやるとかまします。これがスコセッシ監督本人が演じていました。結構出番が長かったりします。

ピーター・ボイル扮する人生の先輩のタクシー運転手に相談するトラビス。
で、答えを聞いて「こんな馬鹿げた話は初めて聞いた」とかまします。先輩のタクシー運転手は気を悪くしてました。それでもトラビスは一応お礼を言っていました。

少女売春婦を見かけるトラビス。これが2回目となります。
偶然が重なって思い込みの方向性が定まるのでしょう。

ハンドガンを買うトラビス。
S&W44マグナム→ダーティハリーでおなじみの大型の強力リボルバー。
S&W38チーフスペシャル→銃身の短い扱いやすい普通サイズのリボルバー。
コルト25オート→25口径の小型のオートマティック。
ワルサーPPK→32口径のダブルアクションのオートマティック。007でおなじみです。
計4丁。正規ルートではなく怪しげなセールスマンから買っていました。
結構ミーハーなセレクトとなっています。

身体を鍛えて射撃の練習をするトラビス。
買ったコルト25オートを袖口に隠して飛出す仕掛けを作っています。どこでこんな知識を仕入れたんだ?
弾丸の先をナイフで十字に刻みを入れています。これかいわゆる当たると潰れてダメージを酷くするダムダム弾というやつです。

1人で訓練をするトラビス。
「俺に用か?」のセリフ。何となく怖い。

行きつけのコンビニで強盗と遭遇するトラビス。
強盗に発砲します。強盗はまだ生きてて店主が殴ってとどめをさしていました。アイロニーが効いてるシーンです。

少女売春婦に会うトラビス。3度目です。
ぽん引きのスポーツと交渉します。12才半と売り込みを受ける。
結局本名を聞いただけで翌日の1時に食事の約束をすることになります。12才半の少女の本名はアイリスとわかる。

アイリスとの食事では説教をするトラビス。
こんな生活をしていてとダメだと言います。これは本気で言ってるのでしょう。よくわからない人です。

トラビスはミンクオイルに火をつけて柔らかくしてからブーツに付けて手入れをしていました。これがノウハウのようです。
そんな準備をして、パランタイン襲撃に向かいます。

有名なトラビスのモヒカン刈り姿はなかなかカメラが映さないように演出されています。パランタイン襲撃は失敗に終わります。このままでは収まらないので、次の行動へと移ります。頭に血が上って何も考えていないことは確かなようです。

アイリスのいる連れ込みホテルを襲撃するトラビス。
ここの銃撃戦はかなりのものです。4丁持ってるハンドガンはもれなく使います。銃撃戦が終わりもうどうでもいいやという感じのトラビスが凄いです。やっぱり何も考えていないようです。

エピローグのトラビス。
ここでアイリスの両親からの手紙でアイリスはピッツバーグ出身とわかります。
いつものタクシー運転手に戻ったとこにベツィがお客として乗ってきます。
味気ない会話をする2人です。ベツィは何で今ごろになってコンタクトしにきたのか?興味深いとこです。


ロバート・デ・ニーロは若い。ハーベイ・カイテルも若い若い。この2人が絡むシーンはイカレ演技合戦となっています。両者とも甲乙つけがたいイカレ具合となっています。

わけもなく女性に対してとは限らず何かにボルテージが上がることがあります。ここのトラビスはベツィからアイリスへとなっていったようです。
暗殺に失敗して収まらなくなって、売春宿を襲撃することになっているようです。これも何となくわかるような。
この2点は説得力あり過ぎ。

トラビスが1人ぽっちだからおかしくなったかもしれませんが、そうでもないような。1人でもチェックは出来ます。思い込みが激し過ぎたり、煮詰まったりすると危なくなりますが。
2人きりだって互いのチェックが機能しなくなり片方がもう片方を支配するようになればおかしくなります。。
3人以上だって1人が突出したらそいつに取り入る連中が出てきたりして、おかしくなって同じようなものだと思えます。人数による統計でもあるのかな?

ロバート・デ・ニーロは実生活では黒人好きなんですよね。金髪の白人のシビル・シェパードに熱を上げていてもあまり説得力がないような気がします。これは私が余計なことを知っているせいですけど。

ジョディ・フォスターの演技はまあ普通でした。
シビル・シェパードは無難な感じでした。
この作品は女優さんはあまり重要ではないので損をしています。

そんなわけで名高いだけはあるよい作品でした。

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コメント

1970年代の洋画の中でも、特に好きな「タクシードライバー」を紹介されていましたので、コメントしたいと思います。

「タクシードライバー」は1976年度カンヌ国際映画祭でグランプリ受賞のアメリカ映画の問題作であり秀作だと思います。 

監督は、当時「アリスの恋」の繊細で鋭い映像感覚で注目されたマーティン・スコセッシ。
脚本は「ザ・ヤクザ」、「ローリング・サンダー」等の異色作で知られるポール・シュレーダー、音楽は数々のヒッチコック映画で有名なバーナード・ハーマン。

優れた良い映画は、オープニング・シーンからしびれるような映画的陶酔の世界へ我々観る者をのめりこませてくれます。
黒いバックを背景に赤い文字でTAXI DRIVERというタイトルが浮かび上がります。

けだるくアンニュイなバーナード・ハーマンのテーマ曲が流れて来て、画面上にはグレーがかった白い蒸気が一面に立ちこめていて、その向こう側の闇の奥の中から、不気味な黄色いタクシーが現われて来ます。 
正しく息を飲むような、戦慄の素晴らしいオープニング・シーンです。

真夜中の毒々しいネオンのイルミネーションの洪水に溢れる喧噪の大都会ニューヨーク。
その喧噪の中を走らす、ヴェトナム戦争帰りの元海兵隊員で不眠症のタクシードライバーのロバート・デ・ニーロ扮するトラヴィス・ビックル。

マンハッタンを走るタクシーの運転席からのショット。
ワイパーをかけてもかけても強烈な雨のシャワーが、フロント・ガラスを濡らし、極彩色のネオンがにじみ、舗道の薄暗い光の中で、人々が霞んで浮かび上がって来ます。
マーティン・スコセッシ監督の映像魔術に翻弄されてしまいます。

このシーンに続けて、トラヴィスの独り言、「獣どもは夜になると外に出て来る。
娼婦とポン引き、チンピラ、ヤクの売人と中毒患者、金が目当ての汚い奴らめ。
いつの日にか、本物の雨がこいつら人間のクズどもを街から洗い流してくれるんだ」と狂気の人間像を暗示していきます。

この汚れきって堕落している街の中で毎晩、車という密室を一人走らせているタクシードライバーの日常を描いたリアリズムと、ニューヨークという街へのファンタジーの境界線に立ち、ニユーヨークという得体の知れない魔性の怪物と、そこに住む孤独で鬱屈した内向的な人間の狂気との関係をドキュメンタリー的手法で丹念に描いていきます。

トラヴィスは、日記を書いていますが、彼の視界に飛び込んでくるものは全てゴミですが、監督のマーティン・スコセッシや我々観る者の眼から見ると、トラヴィスもまたゴミにしか見えないという二重構造になっています。

そしてトラヴィスの神経は、次第にこの街の腐臭に毒され病んでいきます。
売春と暴力が蔓延するこの大都会は、トラヴィスのような内向的な人間の心を孤独でさいなんでいきます。
「俺の人生にはいつも淋しさがつきまとう。バーにいても車の中でも舗道でも店でもどこでもだ。逃げる場所はない」という精神状況になり、この孤独感はついに強迫観念となり、過激な暴力にまで彼を追い込んでいきます。

それはあたかもニューヨークという魔性の怪物に、一人敢然と立ち向かう孤独なドン・キホーテを想起させます。

大統領選挙の美人の選挙運動員のシビル・シェパード扮するベッツィとの強引とも思えるデートと、その無残な失敗は、トラヴィスの異常で狂気の精神状況の始まりで、偽善的な大統領候補に対する暗殺未遂は、彼にとって最後の残された生き甲斐のはけ口のようなものでした。
様々な種類の銃だけが彼に生きる力、勇気を与え、現代のドン・キホーテは、銃をもって大都会の汚れきった諸悪に対し敢然と挑んでいきます。

そして問題のラストシーンですが、ジョディ・フォスター扮する13歳の娼婦の救出に命を賭ける最後の銃撃のシーンは、凄惨な描写で息を飲むすさまじさですが、この行動は異常で狂気の錯乱としか言いようがありません。
このシーンは、精神に異常をきたしたトラヴィスの膨れ上がった"幻覚の世界"を描いているのだと思います。

このように解釈しないとラストのシーンが、余りにも英雄主義的で甘すぎます。
何故ならば、ニューヨークという魔性の怪物の大都会に打ちのめされた孤独なタクシードライバーが、ヒーローとなって都会の諸悪を現実に打破するだけの力を持ち得るとは到底、思えないからです。

陽炎さん、長文のコメントをありがとうございます。

2020年代になるとベトナム後遺症のPTSDなキャラクターなのは同情すべきかもしれませんが承認欲求を拗らせていると説明出来るかもしれません。
候補者襲撃が失敗してこのままでは収まらないと売春宿襲撃となる気持ちの流れが理解出来たりします。そんな感じで見終わると妙な達成感はあったりします。
傑作なのは間違いないと思えます。

手短な返事になりますがご了承ください。


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