『原子怪獣現わる』(1953年)
『原子怪獣現わる』
これは怪獣物のクラシックで有名な作品です。レイ・ハリーハウゼンのモデルアニメが見どころとなっています。で、それしかなかったりします。
なおこの文はネタバレ全開となっています。
1953年 ワーナー アメリカ作品
ランニング・タイム◆80分
原題◆The Beast From 20,000 Fathoms
プロット◆謎の怪獣を追う話のようです。
音楽◆デビッド・ブトルフ
ワーナー発売の『クラシックモンスターDVD Limited Box I』のDVDにて。画質は非常によいです。
キャスト
ポール・クリスチャン→主人公のトム・ネスビット博士
ポーラ・レイモンド→エルソン教授の秘書リー・ハンター
セシル・ケラウェイ→古生物学者のエルソン教授
ケネス・トビー→上司エバンス大佐
リー・バン・クリーフ→狙撃手
ユージン・ルーリー監督の演出はまあまあだと思います。
何故か1953年製作のこの作品より1年遅れの『ゴジラ』(1954年)のほうが全然有名なのが面白いものです。
1年早かったのに『ゴジラ』に負けたポイントは?
コマ撮り(原子怪獣)と着ぐるみ(ゴジラ)では着ぐるみのほうが、破壊シーンがダイナミックになるのです。『ゴジラ』はこのアドバンテージをよく生かしているのです。
ゴジラには口から白熱光を吐くという物凄いギミック(超絶ギミックとも言える)があるのが、またアドバンテージです。ご都合主義が非常に上手くいった例でしょう。この白熱光を吐くショットを見れば、非科学的だ、リアルではないなんて言うより、原子怪獣の方は動き回るだけです。そうなればゴジラの方がいいなとなるでしょう。
恐竜そのままの原子怪獣よりデザインを施したゴジラのほうが、よく見えます。考証、リアルなどどこかへ行ってしまうほどよいデザインです。
本編と特撮をどのように組み合わせるのかが、この手の作品を作るときに苦労するポイントのようです。『ゴジラ』は『原子怪獣現わる』と非常によく似た構成となっています。この作品のフォーマットで作られているといってもいいようです。
タイトルでちゃんとリー・バン・クリーフの名が出ています。
プロローグ。北極での原爆実験です。
レーダーに500トンの謎の物体が映るがすぐに消える。
調査に向かいます。キャビンはない雪上車で移動します。ここはスクリーン・プロセスで処理しています。
歩いてる謎の物体を目撃する隊員。
この辺では誰が主役なのかはよくわかりません。あまり上手くない演出です。
行方不明のリッチーを捜すトム・ネスビット博士ですが謎の物体に雪崩を起こされます。C-47輸送機等を乗り継いでN.Y.の病院送りとなります。
病院にて。トム・ネスビット博士は精神科のインガーソル博士の診察を受けます。精神科医なので幻想だと決め込んでいるのが面白い。
海です。謎の怪物が出現。漁船を沈めます。
コマ撮りの出来はどうかな。面白い動きです。
病院の抜け出してセシル・ケラウェイ扮する古生物学者のエルソン教授を訪ねるトム。ここに教授の助手のヒロインのリー・ハンターも登場。
病院に戻るトム。退院します。
トムの事務所にリー・ハンターが訪ねてきます。怪物の話しとなります。
ここでトムが放射能専門家とわかります。アイソトープ弾の前振りなのかい。
恐竜の絵を見るトム。この中にいるのか?
カナダの船長に電話するトム。断られます。
カナダまで面会に行くトム。船長は不在です。
別の目撃者の漁師に面会に行くトム。目撃者ジェーコブは怪我人です。
N.Y.にて。目撃者と供にエルソン教授を訪ねるトム。
同じ恐竜の絵を選んだことでリドサウルスとわかります。
エルソン教授は協力することになります。
灯台です。ここは有名なシーンです。
灯台を破壊するリドサウルス。コマ撮りの出来はどうかな?→破壊シーンはやはりコマ撮りではそれなりな感じとなっています。
エルソン教授の話しを聞いたりと検討中です。
リドサウルスは海流に乗って南下しているとのことです。
海洋調査となります。
エルソン教授は海中に潜ります。
ワイヤーで吊って潜る潜水カプセルといった感じの質素な乗り物です。。
この一連のシーンのミニチュアの出来はイマイチ。コマ撮りほど気合いが入っていません。
時間つなぎに海中ではライブフィルムでのタコが出てきます。同じようにサメを出てきてやらせの格闘となります。そこに主役のリドサウルスが出現します。
あわてて潜水カプセルを引き上げますがエルソン教授は死亡したようです。セシル・ケラウェイはここでもう退場です。主役2人はイマイチなのでこの退場はかなりマイナスです。『ゴジラ』(1954年)の宝田明と河内桃子の方がずっといいです。
昼間からN.Y.に出現するリドサウルス。
街を歩き回ります。前脚で踏んだ場所を後ろ脚でも踏む。この動きは芸コマで実際の動物の動きを観察していたなと思わせます。猫を見ていればわかることです。
肉食らしく警官を食います。ホントかよ。
ビル等を破壊シーンはコマ撮りのデメリットがでてしまい、高速度カメラで撮って編集で整えてる円谷英二の方がダイナミックです。
警官隊から州兵の出動となります。
夜のN.Y.です。
バズーカ砲と高圧線で対抗します。リドサウルスの首の下をバズーカ砲での攻撃は効果があるようです。リドサウルスは逃げます。血の跡が残る。
リドサウルスは河か海に潜っていたらしく、また上陸との情報が入ります。
ヘタに攻撃する放射能を含んだ血をばらまくことになりこまった状態になります。
ここでトムが放射性アイソトープ弾を使えばと提案します。これは唐突でご都合主義といった感じ。まあいいけど。
夜の遊園地コニーアイランドです。
リドサウルスがローラーコースター場にいます。線路の高架は木製です。
放射性アイソトープ弾が届きます。弾を1発のみとルーティンな設定で盛り上げます。
射撃の名手は?ということでリー・バン・クリーフ扮する男が登場。さすがに若いというか誰だかよくわからなかったりします。
狙撃の基本で高い場所に移動します。ローラーコースターに乗って頂上まで移動します。銃身の先の装填した放射性アイソトープ弾を発射となり命中します。
暴走したローラーコースターが落車して火事になります。
狙撃した2人の脱出とリドサウルスの最後がカットバック。これが全然盛り上がっていない。こまったものです。
で、燃え上がる遊園地とリドサウルスであっさりとエンドとなります。あっさりしすぎです。
博士役はセシル・ケラウェイでした。出演作はルネ・クレール監督の『奥様は魔女』(1942年)、フィルムノワールの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946年)、ファンタスティック物の『ハーヴェイ』(1950年)の3本見ています。どれも主役ではないけど全く無名ではない俳優さんです。
ケネス・トビーは上司エバンス大佐役。『遊星よりの物体X』(1951年)のときのキャラとホトンド同じです。階級が上がっているだけです。
リー・バン・クリーフは狙撃の人です。確かクリント・イーストウッドは『タランチュラの襲撃』(1955年)では巨大蜘蛛をナパームで焼き殺すジェット機のパイロットのだったのでリー・バン・クリーフもクリント・イーストウッドも似たような役をやっていたようです。そうなるとマカロニウエスタンの『夕陽のガンマン』(1965年)などで共演していたのも何かの縁なのかもしれません。
そんなわけで正直言って出来がよいとは言い難いけどこの手の作品の先鞭をつけたエポックメイキングな作品でした。
こき下ろしのルーティン、特撮はいいけど本編がダメが当てはまり過ぎなのがこまったものです。
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こんばんは。
「原子怪獣現わる」は「ゴジラ」の原型になったともいわれる映画ですね。この映画を皮切りに核実験でよみがえった怪獣や放射能で変異した怪獣が世界中に蔓延する訳ですが、ここでは通常兵器が効かない相手には喉元を攻めるという理に適った攻撃がなされてます。
でも、この喉元の傷から流れた血の成分が被害を広げてしまう為、この世でたった1発しか無いアイソトープ弾を傷口に打ち込み倒す事になります。
(1発だけなので打ち損じが許されないなんて「ウルトラマン」最終話のペンシル爆弾の元ネタはこれかしら?)
本作に登場する恐竜リドサウルス。彼にもゴジラ同様、人間の身勝手で目覚めさせられた者の悲哀を感じます。彼は故郷へ向かいながら仲間を探していたのかもしれません。
仲間を見つけたと思って近づいてみると、それは作り物(船舶)であり、中には妙な生き物(人間)がいる。怒りと悲しみのあまり沈没させてしまう。また仲間を見つけたと思ったら、それも作り物(灯台)であり、中にはまた妙な生き物(人間)がいる。怒りと悲しみに任せて倒壊させてしまう。
灯台を破壊した後のリドサウルスのシルエットが嘆き悲しんでいるようで哀愁を誘います。悲しいけど美しいシーンです(灯台守の方々は気の毒ですが・・・・・・)。
本作を観ていると、リドサウルスは元々魚類食で獣類(人間)を捕食する習性は無いのでは?と思います。自分の故郷に繁殖している小さな生き物にただただ戸惑っている感じですし、あの警官はただうるさいから噛み殺しただけで、振り捨てるほどの大きさでは無いのでゴクンと飲み込んだだけの事では・・・・・・。
死に逝くリドサウルスを見る人間達の思いはどのようなものだったでしょうか。苦しい思いをさせてしまったけど、どうか安らかに仲間の元へ旅立って欲しいです。
投稿: A-chan | 2019.12.25 00:56
A-chanさん、コメントありがとうございます。
レイ・ブラッドベリの原作は怪獣と灯台のシーンのみで、あとは元のアイデアを自由に膨らませているのが映画らしいと思います。
1950年代は原子力の時代で何でも放射能で巨大化していたものです。現在はDNA遺伝子操作になってます。その時代の流行りがあるようです。
原子力といえば1950年代から1960年代の漫画では何でも原子力が動力源になっていました。これは当局の原子力安全プロパガンダの産物だったのかと今頃になってそう思えてきます。
動力源にも流行りがあるので一時は超電導云々というのもありました。
2020年を迎えますが現実のあまりの進歩していないことに驚愕するだけです。何事も少しの便利に多くの不便が付いてくるからです。
電気と水洗トイレとインターネットがあればあとは江戸時代ぐらいの生活でもいいと思ったりします。
投稿: ロイ・フェイス | 2019.12.27 17:15