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2005.01.23

『バニシング・ポイント』(1971年)

私の大好きな作品の感想です。
アメ車、1970年式のダッジ・チャレンジャーが全編に渡り走りまくる、これだけの奇妙な作品です。
なおこの文はネタバレ全開となっています。

1971年 キューピッド・プロダクション/20世紀フォックス アメリカ作品
ランニング・タイム◆99分
原題◆Vanishing Point
プロット◆デンバーからサンフランシスコへ15時間で走ろうとしながら回想する話しのようです。
音楽◆作品紹介では有名なロックナンバーが流れているとなっていますが私には全然聞いたことのないナンバーばかり。有名なロックナンバーはスターのようなものとすれば独立プロが製作したとはいえこの作品はスターがいない20世紀フォックスの伝統が守られていることになります。

20世紀フォックス発売のDVDにて。画質は非常によいです。ビスタサイズ。
以前買ったLDよりかなりよくなっています。そのためロングショットでの動きがよく見えたりします。音質も向上しています。モノラルはそのままですがこれでいい。LDでは間違っていた日本語字幕も直っているようです。この作品がお気に入りの人はDVDでまた買っても損ではないと思えます。

キャスト
バリー・ニューマン→ベトナム帰りの陸送屋コワルスキー
クリーボン・リトル→DJのスーパー・ソウル
ビクトリア・メドリン→コワルスキーの恋人だったベラ
ポール・コスロ→若い警官チャーリー
ロバート・ドナー→中年の警官
カール・スウェンソン→陸送屋のサンディ
リー・ウィーバー→ヤクの売人で賭けの相手ジェイク
ディーン・ジャガー→ヘビ捕りのじいさん
スティーブン・ダーデン→助祭のフーバー
ティモシー・スコット→バイカーのエンゼル
ギルダ・テクスター→ヌードライダー

リチャード・C・サラフィアン監督の演出はよいと思います。でもこれはまぐれでしょう。ボンクラな監督でも100本くらい撮ればごくたまにまぐれで出来がいい時もあるとなります。この監督の場合は100まで行かないうちに偶然撮れたのでしょう。
もっと腕前のいい監督で作ったらどうなったか?それともこの荒っぽいというのかルーズというのか、その怪我の功名で奇妙な佳作となったこのままの方がよかったか微妙なとこです。

Louie Elias→stunt coordinator (as Louis Elias)
Carey Loftin→stunt coordinator (as Cary Loftin)
ルイス・エリアス、ケアリー・ロフティン、この2人のカースタントが、この作品に命を与えています。
ところでジャガーEタイプのドライバーはたぶんスタントドライパー本人だと思われます。歳からしてそんな感じがします。


クライマックスでプロローグに戻る手法になっています。私はこの手法は好きなんです。
回想に入るのにフラッシュバック多用ですがその使い方は製作当時に流行っていた唐突に入れる使い方です。
この手法で出色の出来の2作品が『殺しの分け前 ポイント・ブランク』(1967年)『ゲッタウェイ』(1972年)となります。

この作品のフラッシュバックは、こうなっています。
→バイクのダートトラックレース。クラッシュから再スタート。
→クルマのストックカーレース。クラッシュ。
→警察時代のこと。女の子を逃がす。
→恋人とのこと。マリファナと冬のサーフィン
ベトナム帰りなのにそのベトナム時の回想がないのはおそらくライブフィルム流用で撮ったけど見るに堪えなくてカットしたのかもしれません。

字幕 AM10:02~AM10:04の2分間にこれだけあるようです。
カリフォルニア(日)10:02AM◆ここから回想に入ります。
コロラド・デンバー(金)11:30PM◆金曜の夜に戻ります。
ネヴァダ(土)11:43AM
ネヴァダ(土)01:36PM
カリフォルニア(土)07:12PM
カリフォルニア(日)10:04AM◆プロローグに戻ります。
と、なります。(金)の夜から(土)の03:00PMまで?、これだと15時間の期限になります。

何回見ても時間の構成が理解出来ません。演出がヘタなだけなのですがこれがよい効果になっているから不思議です。
プロローグで最初に登場したダッジ・チャレンジャーがブルドーザー2台で作られたバリケードの手前でスピンターンして引き返して道路から外れて止まりまた発進して、どうしてこうなったか素直に2日前に戻って回想に入るとなればいいものを黒い車とすれ違いざまにダッジ・チャレンジャーが消えるギミックな手法を使って回想に入るので、これで見ていて時間的にわけがわからなくなります。
クルマがすれ違いストップのとこでは合成の切れ目がモロに見えていました。まだこの頃は粗末な技術でした。別にいいですけど。

何回も見てからようやくダッジ・チャレンジャーがスピンターンして引き返して2分後に戻って今度はスピンターンはしなかったと思えてきました。これは作品の出来に対してプラスなのかい。
それともダッジ・チャレンジャーが消えるギミックな手法はスピンターンまでをリセットして2日後に戻ることになり実はダッジ・チャレンジャーは最初からスピンターンしなかったことになるということも考えられます。
この作品は考えれば考えるほどわけがわかりません。私としてはこの作品は超常現象ありではなく風変わりなカーアクションで見たいのでどうも引っ掛かることになります。
たった2分であれだけやじ馬が集まっているのもおかしなとこです。この作品はおかしなとこが多過ぎます。それでもお気に入りですけど。

主人公コワルスキーのキャラクター。
バリー・ニューマン扮する主人公コワルスキーのキャラは1960年にベトナムに行っていたようでそれから10年が過ぎたわけだから30才か、31、2才くらいでしょう。若者とはいえないと思います。
言ってること「また会おう」と、やってることが違います、まあ凄いものです。セリフなんか虚しいものさということかな私にはそう思えてしまいます。「昔の話だ」なんてセリフもあります。
何でそのような行動をとるのか動機が全く不明になっているのが不条理です。これは意図的というよりこうなってしまったんだと思えます。

ひたすら走るクルマのダッジ・チャレンジャーは主人公コワルスキーの自慢の愛車ではなくて盗難車でもなく友達から借りたクルマでもない。陸送でたまたま担当することになったクルマというのも主人公コワルスキーの行動の無意味さを強調しているように思えます。

クルマはクライスラー社のダッジ・チャレンジャーR/T
1970年式 白 2ドアクーペ
ナンバーはコロラドOA 55-99
エンジンは排気量約7000cc 水冷 V8 OHV 4バレルキャブ。
ATではなく4速マニュアルギアボックス。
前サスペンション:ダブルウィッシュボーン トーションバー式の独立。
後サスペンション:リーフスプリングの固定で通称リーフリジッドと言われてます。
これはスーパーチャージで160マイルは出ると称しています。160マイルは257.44km/hです。
スーパーチャージというのは過給装置その物が付いているのかチューンナップした事自体をいうのかはよく分かりませんでしたが調べると映画の設定ではスーパーチャージとなっていましたが実際に使用されたダッジ・チャレンジャーは4バレルキャブの440エンジンで4速マニュアルだそうです。改造はされないなかったとのこと。ガングリップタイプのシフトノブです。ジャンプする時やジャガーEタイプを抜く時にシフトノブを動かすのは単にシフトダウンしていたということです。何だい簡単ではないか。演出がヘタなので何をしているか何回見ても分かりませんでした。

ダッジ・チャレンジャーのディレクションはデタラメでデンバーからS.F.へと地図上では右から左へなんですが画面では右も左も上も下もなく自由自在なディレクションになっています。演出の間違いではなくてこの映画で方向性があるのはダッジ・チャレンジャーだけなのだからダッジ・チャレンジャーの向いた方向がそのシーンのディレクションになるのだからこれはこれでいいのでしょう。


プロローグ。カリフォルニア(日)10:02AM
キャラピラー社製のブルドーザー2台が進みバリケードを築きます。
ヘリコプターからの空撮で登場するダッジ・チャレンジャー。
このダッジ・チャレンジャーがフルブレーキングからのスピンターンして走り去る素晴らしいシーンがあります。
ここでヘリコプターが追うとこがポイントになります。この作品は全体的にヘリコプターを上手く使っています。それにしても絵になるヘリコプターは映画向きの乗り物だと思えます。
そして道路を外れて有刺鉄線の柵を突き破るシーンとなります。パンクしないのかと心配になるのが私の貧乏性の図。
ダッジ・チャレンジャーが消えるギミックな回想の入り方で金曜の夜に戻ります。

発進するダッジ・チャレンジャー。
金曜日の夜にヤクを買いに行ったついでに何となく賭けを決めてダッジ・チャレンジャーが夜を走るシーンです。OHV V8エンジンのサウンドが心地よい。
低速タイトターンでクルマのリアを振るショットが『ゲッタウェイ』(1972年)に引用されています。IMDbで調べるとカースタントでケアリー・ロフティンという人は『ゲッタウェイ』でもカースタントを担当してます。低速タイトターンはこの人がやっていたとことになります。

クリーボン・リトル扮するDJのスーパー・ソウルが出勤の図。
盲導犬に先導されて歩きます。で、仕事開始となります。

白バイと絡むダッジ・チャレンジャー。
フラッシュバックはバイクのダートトラックレース。
トラックのクラクションの効果音があります。クラクションの効果音のスタンダードと化している効果音通過のショットです。
ダッジ・チャレンジャーが通るそして白バイが通る、これだけでもいいです。
編集の基本的処置の図、寄るショット、短くなるショットです。『地球防衛軍』(1957年)でマーカライトファープを描写した編集で円谷英二の得意の手法を思い出した。

ジャンプから道路に復帰してパイロンをすり抜けるとこでステアリング修正のショットがあります。ステアリングの修正ショットは一か所だけではなく、結構あります。ジャンプして着地するとこでサスペンションがフルボトムするとこがいい感じです。

手配され音楽にシンクロして走るダッジ・チャレンジャー。
本編で手配のクルマはダッジ・チャレンジャーでナンバーはコロラドOA55-99と言うとこからダッジ・チャレンジャーのナンバープレート、コロラドOA55-99のクローズアップのショットにつながります。ここから一連のシーンがこの作品の白眉です。
音楽がロックナンバーではなくて普通の音楽だったりします。多分偶然にシンクロしたとと思えますがここが非常によいのです。その曲は『Freedom Of Expression』Soundtrackより。
フラッシュバックは4輪のストックカーレース。クラッシュします。

パトカーに道を塞がれて反対車線を走行、蛇行するダッジ・チャレンジャー、これがよい。そしてトラックと正面衝突?のとき右にそれかわします。このときのトラックのクラクションの効果音がいい、トラックをかわすときに右か左かの迷いはない。一発で右と決めます。もうバニシング・ポイントに向かっていると自覚しているのかこれっぽっちも迷いはないのだ。→単にまた右車線に戻るためかもしれませんがね。

逆ズームのショットがあります。意図不明。何となく撮ったのを何となく使ったような感じ。
超ロングショットで走るダッジ・チャレンジャーもありました。白い点のようになって見えます。

ジャガーEタイプと絡むダッジ・チャレンジャー。
いい歳こいてヘルメットまで被りやる気十分で登場する妙に明るいオヤジの運転するクルマはジャガーEタイプです。
競ったダッジ・チャレンジャーとジャガーEタイプが並んで走るショットはいいです、事故っても死なないとこがいい。普通は死んでいます。そういうことでこのキャラはコメディリリーフなのかもしれません。

一息入れるコワルスキー。
妙に印象に残るセンターライン引き失敗のシーンがあります。
コロラド州からネバダ州へとなります。

ダッジ・チャレンジャーにガソリンを入れます。モービルのタイアップがあったようです。
フラッシュバックとなります。警察時代に逃がした少女。

パトカーと絡むダッジ・チャレンジャー。
休憩中のパトカー44号が登場。警察無線を盗聴しているスーパーソウルに腹を立てる若い警官チャーリー。
ちょうどよくダッジ・チャレンジャーを見張れと指令が来ます。
休憩中を終えたパトカー44号がダッジ・チャレンジャーを追跡にかかります。
ここで警官2人のやりとりで「何をやった」「両方さ」のセリフがあります。印象に残ります。
追跡するパトカー44号ですがスピンターンして迫ってきたダッジ・チャレンジャーとの対面走行のチキンレースにあっさりと負けます。道路を外れて止まるとこで巻き上がる砂ぼこりが印象的です。怒った若い警官チャーリーが運転を代われとなります。
その後追跡するパトカーが転倒し1回転してまた起き上がるのとシンクロしてダッジ・チャレンジャーが止まる(しかも車体の向きまでシンクロして)のです。で、この後ホイールスピンの発進で決めます。このホイールスピンの効果音が心地よい。

砂漠を行くダッジ・チャレンジャー。
砂漠へ入る前にパトカー2台と対峙する前に並んで迫ってくるパトカー2台のショットがやけに印象に残ります。このパトカー2台がそろっとピョコンと跳ねるのがポイントです。
砂漠ではあまりいいとこがない。4WDではないから当たり前?
何故かわだちが十字に交差していたりします。これが至るとこにある十字架のイメージの一つですか。
フラッシュバックがあります。冬のサーフィン。
パンクをするダッジ・チャレンジャー。
タイヤ交換が終わったとこでガラガラヘビと遭遇するコワルスキー。

コロラド州デンバーのガレージにて。
ニュースを聞いて集まるやじ馬達。お気楽な方々です。ここで今なら騒げると空気を読むに敏な方々といってもいいでしょう。
コワルスキーを弁護するサンディ。演じるカール・スウェンソン一世一代の大役は『鳥』(1963年)での「この世の終わりだぜ」という酔っ払いでしょう。

ラジオ局KOWにて。
取材されるスーパーソウル。これで全米中にニュースが広まったという描写らしいが見てて全くそんな感じはしません。

コワルスキーは偶然居合わせたヘビ捕りのおじいさんに助けられます。ヘビを捕ってくれます。
ヘビ捕りのおじいさんはヘリコプターがやって来ることを警告してくれます。コワルスキーにはヘリコプターが見えない。
ヘビ捕りのおじいさんからヘリコプターから隠れる方法も教えてもらいます。コワルスキーが追われていることをまるで気にかけない妙なおじいさんです。

宗教集団の集会場所に行きます。
ヘビを放すシーンとなります。「ヘビを自由にしてやる」と称しています。宗教には関係なく妙に印象的です。
ヘビ捕りのおじいさんと別れます。

コワルスキーの経歴を調べる警察の描写。
ベトナムのメダルのとこで笑いが漏れるの何で?よくわからん。

ゲイの2人組と遭遇するダッジ・チャレンジャー。
砂漠を出て普通の道路を走ってヒッチハイカーを拾います。ここはフルブレーキングが止まるショットがあると思っていたけど実際はブレーキの効果音だけで止まるショットはありません。
ヒッチハイカーのゲイのコンビはコメディリリーフとのことです。ホモとゲイはニュアンスが違う?ホモは死語なの?
ゲイのカップルの乗ってたクルマの後部にはジャスト・マリッジと表示がありました。新婚夫婦のハネムーンだったのか。

ラジオ局KOWを襲う白人集団。
ラジオ局のスタッフの黒人がまたかといった感じで迎え撃つのが印象的。
当然放送は中断されます。

バイカーと遭遇するダッジ・チャレンジャー。
ヤクをもらいにバイカーの家?に寄ります。ヤクのことを「スピード」か「アップ」と称しています。
そこには全裸でバイクに乗る女性がいます。
バイカー仲間のヌードライダーの乗るバイクはホンダCL350EXとのことです。ブレーキをかけないで止まってるみたいに見えます。
ヌードライダーの体形はアメリカ人らしくないスレンダーな人です。私はこちらのほうがいいな。IMDbで調べると演じるギルダ・テクスターさんはその後も映画のスタッフとして活動しているようです。

転向したのか偽情報を流すスーパーソウル。
コワルスキーは何故か協力的な名も知らぬバイカーに助けられ検問を突破します。
ここは警察は無能だとお笑いの一席といった感じです。

ヤクの売人ジェイクに電話するコワルスキー。
いつも通りの会話をするコワルスキー。普通ではない。さすがに心配するジェイクです。

スーパーソウルがオープンカーに乗せられてご出勤の図。
ガールフレンドが同伴しています。
日曜にここに来るのは初めてと、いつもと違う仕事となります。

エピローグ。バニシング・ポイント。 カリフォルニア(日)10:04AM
唐突にヘリコプターから空撮のダッジ・チャレンジャーとなってプロローグに戻ります。
疾走するダッジ・チャレンジャーとDJのスーパー・ソウルがカットバックで描写されますが、正直言ってこれほど盛り上がらないカットバックも珍しいのでとはなります。せっかくのスーパー・ソウルの決めセリフ「ストップ!」も効果なく、いいセリフなのにもったいないとなります。
そんな盛り上がらないカットバックなど、お構いなしに疾走するダッジ・チャレンジャー。バリケードを前にして今度はスピンターンせずに激突爆発炎上となります。一体彼は何だったんだと爆発炎上したのを見て誰もがそう思うでしょう。
時間的には朝日をあびているのですが何故か夕日のような感じに見えたりします。
激突して吹っ飛ぶダッジ・チャレンジャーのボンネットが地面に当たりその効果音からカットが切り替わり爆発となるわけです。
このシーンはカタルシスの極みになります。カットの切り替わりは撮影の都合でやっぱりB級と片づけられるかも知れませんが、見ててホントにこうなのかなと思わせます。


私のお気に入りの作品なのですが、話でわけのわからんとこが多過ぎます。
『2001年宇宙の旅』(1968年)並みの説明描写不足の作品です。不条理のゆえんです。
ですが、このことがあまりマイナスになっていないのが不思議なとこです。主人公がヤクでラリって暴走する話しだからかこうなのかもしれません。つじつまの合わないとこ。わけが分からないとこ。これがそのまま放り出されたままになっています。ヘタにつじつま合わせをしないとこがかえって主人公の行動の無意味さを強調しててかえって効果的になっていたりします。

デンバーからサンフランシスコへ15時間の賭けはしたけど、どのくらいの距離なのかが明確になっていなく15時間でどのくらい走れるというのがハッキリとはわからず時間的距離的サスペンスが皆無です。
ラジオ局KOWがどこにあるのか?ダッジ・チャレンジャーとの距離関係は?これがサッパリわかりません。
パトカーコンビの若い警官と白人至上主義のリンチ首謀者の若い男は同一人物?それとも別人?これもわからん。
パトカーコンビで中年の警官はラストに出ていたのか?
ラジオ局への投石には暴行への抗議か支持かどっちの意味があるんだろ。わかりません。普通は暴行への抗議だと思えますが何回も見ているとわからなくなります。
DJスーパーソウルのキャラバランスは?→味方だったり偽の捜査情報を言ったりとその場に流される言動が人間的だったということでいいのかもしれません。
DJスーパーソウルとコワルスキーの関係はホントに通じていた超能力なのか?それとも偶然のDJ側の思い込みなの?これもハッキリとは描写していませんでした。

ブロンドの女性が大勢出ています。これは見てて混同するのではとなります。これは何のつもり?何も考えていないだけですか。
ガソリンスタンドの店員さん。
コワルスキーの恋人のベラ。
警察時代に逃がした少女。
ヌードライダーの人。
これでシャーロット・ランプリング扮するヒッチハイカーの登場シーンがカットされずに出ていたらまたブロンドの女性が1人増えてしまいます。シャーロット・ランプリング登場のシーンをカットしたのは正解でしょう。セックスする相手は1人だけの方がわかりやすくていい。

ヌードライダーとコワルスキーの関係。彼女はコワルスキーを知っている。コワルスキーのことが載ったLIFEの記事をパネルに張って大事に取っておいてあると言った。その記事はコワルスキーが法廷で逮捕となっていました。てことは彼女はコワルスキーが以前逃がした人なのか。その後彼女は順調にこの方面の道に進んでいったということですか。ところが見た目がまるっきり別人なのでそうではないのです。
ヌードライダーは天使ということにすればいい、そう書いてる紹介もあります。私はしてはこの作品は超常現象ありではなくて風変わりなカーアクションとして見ているつもりなのでこれはダメです。

IMDbのコメントでは至るとこに十字架のイメージがあるとのことですが私は全然気がつきませんでした。そう思えば結構あるようです。
STOPの標識が意外と目につきます。これの方が目につきます。意図的なデザインなんでしょう。何の象徴?何の意味があるんだろ。
作品紹介等では権力に反抗云々との批評がありますがそんなことはなくてコワルスキーは走りたいだけで警察は単に職務を遂行しているように見えたりします。


B級作品のための撮影のあらも結構見受けられます。
プロローグでヘリコプターの中にカメラが見えますが、これは単なるミスなのか。ミスだとしたらB級のような。このカメラはあまりにも堂々と映っているのでダッジ・チャレンジャーの暴走は大事件になっていたので警察側が記録しているのかと思えるくらいですが、実際はそうではなくてクルマとヘリコプターの両側からの1発撮りの打ち合わせ不足というのがホントのように思えます。
で、キャタピラー社製のブルドーザーのバリケードのとこでリハーサルの為と思われる止まったキャタピラーの跡が道路についているのです。やっぱりB級です。
バリケードに向かってダッジ・チャレンジャーが走って来るとこで手前に小さなゴミが飛んでて意外と気になったりします。現在のCG技術なら後からでも消せるのにこまったものです。
フラッシュバックでのレースシーンですが、バイクのダートトラッカーレース、クルマのストックカーレース共にスタント吹き替えでした。それは別にかまわないけどスタントとバリー・ニューマンが演じるとこの画調が違い過ぎてるのがマイナスです。これは大昔にTVで見ててもわかりました。B級作品のゆえんです。
ダッジ・チャレンジャーの運転席のコワルスキーの顔に朝日が当たるとこが単なる照明のミスに見えてしまいます。ブルドーザーのバリケードから陽が差すショットとのつながりが大ざっぱな編集なのでよくわからなくなっています。


クルマ関係について、
黄緑のクルマが重複して登場します。最初はダッジ・チャレンジャーがジャンプしてまた道路に復帰するとこ。次がダッジ・チャレンジャーを反対車線に押し出す幅寄せをするとこ。この2つのシーンの間は時間的にも距離的にも相当離れているで偶然とは言えず。これもB級の特徴でしょう。両方ともギリギリでかすめていくので信頼のあるドライバー同志でないと出来ないスタントです。

私はアメ車は大嫌いでした。
V8もOHVもATもリーフリジットも大嫌いでした。FR(フロントエンジン・リアドライブ)でさえ嫌いだったのだ。ホント。ですが、この作品を見て変わりました。よさそうなLDでこれしかなかった。のがエクスキューズだったのだが大当たりですな。何が幸いするかわからんものです。同じようなのにハンドガンのコルト・ガバメントがありましたな。タダの箱のようなデザイン、どんぐりのような実砲などが嫌いでした。『ワイルドバンチ』(1969年)『ゲッタウェイ』(1972年)で好きになりました。

この1970年型ダッジ・チャレンジャーのボディのデザインは当時の日本車、ニッサン・スカイラインやトヨタ・セリカにコピーされています。全体的なシルエットはスカイラインに。サイドウィンドーのデザインはセリカ2ドアクーペにといった感じです。
アメ車のダッジ・チャレンジャーの車幅が広くたっぷりとってあってバランスがよいスタイルです。で、日本では狭い道路事情と口実があって実は当時の輸入車排除のためと思われる5ナンバー枠で収めるために妙に幅が狭くて両車とも細長くバランスの悪いスタイルとなってしまいます。そこまではコピー出来ないということのようです。


見るたびに心が洗われるようです。
最初はそんなお気に入りではなかったけど何回も見てるうちにお気に入りとなりました。そんなわけで不条理物カーアクションの奇妙な佳作です。


他のカーアクションで、
スティーブ・マックィーン主演、1968年型マスタング・ファストバック390GT対1968年型ダッジ・チャージャーR/Tの元祖カーアクション『ブリット』(1968年)
イタリアのミラノを舞台に英国車ミニが主役の犯罪コメディ『ミニミニ大作戦』1969年版もお勧めです。普通のクルマとしてルパン三世の愛車フィアット500がたくさん出ています。
スタントドライバーが『バニシング・ポイント』(1971年)と同じ人が担当しているのでカーアクションが何となく似ている『ゲッタウェイ』(1972年)
1968年型シボレー・インパラと1969年型ダッジ・チャージャーR/Tが走る『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』(1974年)
本編はイマイチですが色々なクルマが走ってる『激走!5000キロ』(1976年)
オカルト・カーアクションの『ザ・カー』(1977年)
バイクはカワサキZ1000でクルマはOHV V8エンジンの『マッドマックス』(1979年)
マツダのRX-7とコスモAPのカーアクションがある『太陽を盗んだ男』(1979年)
赤いBMWが走りまくる『ザ・チェイス』(1994年)
無難なリメイクになっている『バニシング・ポイント』(1996年)
スピードは文句ないけどエンジン音が物足りない『RONIN』(1998年)
1950年代のキャデラックが出てる不条理ホラー『ジーパーズ・クリーパーズ』(2001年)
プリマス・バラクーダとキャデラック・エルドラドが対決する『ハイウェイマン』(2003年)
日本の新しめのクルマが走りまくる『ワイルド・スピードX2』(2003年)
会話シーンの合間にクルマが走る『デス・プルーフ』(2007年)
TVシリーズ『マッハGoGoGo』(1967年)の映画版にしては微妙な出来で、カーアクションとしても微妙な『スピード・レーサー』(2008年)
等々の感想があります。

ところで多くのカーアクションを見ていたらOHV V8エンジンはアメリカ人の魂なのではと思えてきます。
マジでそのように思えます。


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コメント

一年3ヶ月前の記事にこんにちは初めまして、一番好きな映画と言えば結局「バニシングポイント」になります。具体的ではないかも知れませんが、1970年頃の時代が好きなのと、この映画で一番多い構図の空と大地の間を流れて消える物語になっているところ等が気に入ってます。 僕もこの映画は何度も観ていますのでトリビアをひとつ・・・ラストにブルドーザーに激突したのはチャレンジャーではなく1967~69年頃のカマロです、吹っ飛んだボンネットやトランクやドアまわりに気を付けて見れば新たな発見が楽しいかも?です。

空地のアキトさん、コメントありがとうございます。

なるほど、壊れたクルマは吹き替えだったのですか。
そういえば撮影で借りた複数のダッジ・チャレンジャーは全部返したとどこかで読んだような覚えがあります。

私も好きな映画はたくさんありますがこの『バニシング・ポイント』1971年版は特別な映画となっています。

これだけ詳細に分析しているのに、肝心のこの映画の本質を分かっていないのが哀しい。

MACHIさんに同感です。

面白く読ませていただきました。
ありがとうございます。

追記:
「本質が分かる」とか、意味がないことを言う人もいるんですね^^;
「製作者の意図=本質である」という考えは芸術・創作物のそれこそ「本質」を理解していない・・・
通ぶる人って哀しいですね。

のりくんさん、フォローのコメントをありがとうございます。

本質云々は別にいいのですが、コメントしてくれた方の言い分がわからなくては返事のコメントのしようがないのです。
まずあなたの持っているカードを見せてくれとなります。

あまり深読みせずに映画を楽しみたいものです。

解剖実験的な…それこそ正に解説でした、無残

私はミドル・ティーンだった頃、ロードショーで見て以来のこの映画のファンですが、現在は、フィリピン・マニラに在住しています。

2・3ヶ月ほど前に、こちらでもケーブルTVによっては放映している、WOWWOWで久しぶりに観ており、やはりニュー・シネマの中では、「イージー・ライダー」「いちご白書」「フレンチ・コネクション」「ソルジャー・ボーイ」と並んで、好きな映画であることを確認しました。

昨日、なじみのDVDショップ(といっても、マニラですので海賊版ばっかりですが)で発見し、早速、購入していそいそ観たところ、なんと!このオリジナルの40年来のファンである私が、観たことのないシーンの出現にビックリ!!

なんと、シャーロット・ランブリングではありませんか・・。
この映画に、70年代のウルサ型映画監督、並びに映画ファンのご贔屓のランビリングとこのマイナー系の映画の組み合わせとは。。

とにかく、そのシュールな組み合わせにショックを受け、Webを探し回っても、どこにもランブリングのデータはありませんでした。
狐につままれたような気持ちで、ウロウロしておりましたところ、こちらで、件のシーンはカットされたものとの表記をいただいて、ようやく落ち着きました。

このシーンもね、さすがにランブリングの存在感で、当時の映画ファンの立場といたしましては、結構なものでしたよ。

まずはお礼まで。
ありがとうございました。

lalakさん、コメントありがとうございます。

シャーロット・ランプリング出演シーンが入っているソフトが出回っているのですか。それはまた1回は見たいものです。
でもlalakさんの仰る通りでシャーロット・ランブリングが演じるキャラでは存在感があり過ぎでコワルスキーの死んだ恋人がかすんでしまうので、やはりカットは正解だと思えます。

それにしても『バニシング・ポイント』は不思議な作品ですね。おそらく時流に合わせて適当に撮ったと思われるのに奇跡のような出来の良さなのですから映画はわからないものです。

リプライありがとうございます。
そうです。今のあの「バニシング・ポイント」独特の虚無感というか、70年代のあの空気感をそのままにしようと思ったら、あのシーンのカットは正解です。

しかし、下記は、私がよくお邪魔するサイトに書き込みをさせていただいた分を転載させていただきますが、このシーンを含めた作品のコンセプトは、「70年代カルト映画」では収まらない傑作になる要素があったと思います。
しかしながら、件のシーンをカットせざるを得なかったのは、ひとえに監督:サラフィアンの能力の限界があったため、と思わざるを得ません。

これを含め、最初のコンセプトどおりの傑作をモノにするには、やはり、キューブリック、ヒッチコック、ワイラー、少なくともコッポラ・レベルの才能が必要だったのではないでしょうか・・・。

>以下、転載です。・・・・・・・・・・・

えらいことなんですよ!

というのも、映画の内容そのものが変わってしまってます。
最後の有名な、突進爆死の前の「微笑」の意味も変わってしまっています。

更に、そのランブリングのシーンによって、それまでにフラッシュ・バックで現れていた想い出の女性たちのシーン、さらに有名な、砂漠の中でホンダに跨った全裸の金髪の少女のシーンもすべて繋がって、一つのサブ・テーマを形成してしまうのです。

なぜ、ランブリングでなければならなかったかというと、それが異形の者であり、妖精というか物の怪というか、現実なのか幻想なのか、またその両方なのかが判らない存在だからです。

・あの世に旅立ってしまった恋人
・過去の同僚のレイプから助け出した少女に、面影が似た金髪のGS店員がなぜ、微笑みながら見送っていたのか。
・砂漠のホンダの金髪の少女がなぜ全裸だったのか、また、なぜ主人公コワルスキーの過去を知っていたのか。

これが次のランブリングのシーンによってすべて関連を持つことになります。

日が暮れて、何の特徴もない森のそばの側道を通りかかった時、霧が立ちこめている。
森の暗闇に女がじっと立ちすくんでいる。

ためらいもなく声をかけるコワルスキー。
女はためらいもなく車に乗り込み、マリワナをふかす。

何もない場所で車は停車。
眠っていた女は目覚めて・・・。

-どうして止まったの・・・?
>ラリっちゃったんだ。
-ここは悪くないわね。
>ああ。
-あなったって、何なの?
>ただの運転手さ。
-さそり座ね・・。
>ああ、そうさ。
-名前は?
>コワルスキー。
-コワルスキー?
>苗字も名前もなく、”コワルスキー”だけさ。
-おかしい・・。
>ああ、とってもね。君の名前は?
-それは、あとでね・・・。何でシスコに行くの?
>故郷さ。
-とってもいいとこなのね。
 あなたが好きよ、コワルスキー。
 ずっと、あなたを待ってたのよ。
 どれほど長く待っていたことか・・・。
>いつから、どこでさ?
-どこでもよ、ずっと、永遠に・・・。
 我慢して・・、我慢だけが誰かを待つ方法なの。

見つめあい、くちづける二人。
フェイド・アウト。。。。

朝になり、気がつくと女は忽然と消えている。
呆然とするコワルスキー。。。

と、いうことなんですよ。
つまり、コワルスキーの暴走を、精霊というかスピリットというか、それは女性であるとともに、コワルスキーの唯一の心の安らぎでもあり、希望でもあったものが見守っていて、コワルスキーの最後の謎の微笑みも、その「希望」に向けられたもの、ということになるのですよ。

そうです!
これは本当に価値のあるDVDです。
ランブリングの名前も、しっかりタイトル・ロールの、コワルスキー:バリー・ニューマンの次に入っています。
それぐらい重要な役だったのですよ。。。

lalakiさん、貴重な情報をありがとうございます。
カットされていたシャーロット・ランプリングのシーンが入っていたらlalakiさんの説の通りで全く違う話しになります。これは凄いや。

私はヨーロッパの女優さんがアメリカのハリウッド映画に出るとバカみたいな役をやらされて扱いが悪いのでシャーロット・ランプリングは何てことはない単なるヒッチハイカーのキャラかと思っていました。
それがこのような重要なキャラとはビックリしました。

それでもこの1シーンだけでは全体的にまだ整合性がないような感じがします。
これで上手い監督がまとめればカーアクションと主人公の心象風景が融合したとてつもない作品になったと思えます。

演出が下手と何度も書いておられますが、脚本やプロデューサーがいて映画は成り立ちます。私には監督の力量だけの問題とは思えないのですが71年当時の作品としてはのちの映画製作に多大な影響を与えたエポックメイキングな映画に思えてならないのです。

granpa66さん、脚本やプロデューサーが欠けては映画は出来ないけど、やっぱり監督が映画をまとめるものだと私は思っています。脚本やプロデューサー、監督等々、どれも大切なのはわかっているつもりです。
最終的にプロデューサーが編集して何とかなるような作品では大した出来ではないと思えてしまうのです。

リチャード・C・サラフィアン監督とキャリア序盤とまあまあだったけど途中からダメになっていく典型的な監督だと思っています。
『バニシング・ポイント』の時はちょうど坂道を転げ落ちる直前といった感じです。

『バニシング・ポイント』がエポックメイキングな作品なのは私も同意見です。それにしても上手く出来てしまった(やっぱりそう思う)珍しい作品だと思います。

一つ気になった点です。
DJが嘘の情報を流すシーンは、スタジオを襲った白人によるものではないのでしょうか?

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