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2018.12.09

『デ・パルマ』

この作品は、ノア・バームバック、ジェイク・パルトロー監督のブライアン・デ・パルマ監督のドキュメンタリーのようです。
なおこの文はネタバレ全開となっています。

2015年 A24 アメリカ作品
ランニング・タイム◆110分
原題◆De Palma
プロット◆ブライアン・デ・パルマ監督が自作を喋り倒す話しのようです。
音楽◆George Drakoulias music clearance

キャスト
ブライアン・デ・パルマ→自作を語る映画監督

ノア・バームバック、ジェイク・パルトロー監督の演出はよいと思います。
全体的に普通の映画ドキュメンタリーになってます。
インタビュアー2人の声や姿は全く出てきません。ひたすらデ・パルマが喋ります。

私の映画感想のリンクです。
アルフレッド・ヒッチコック監督作品
ブライアン・デ・パルマ監督作品

合同会社是空/TCエンタテインメント発売のBlu-rayにて。
画質はよいです。
スクイーズ収録のフル表示。
画面サイズはワイド。上下左右黒味なし。フルスクリーン。
音声は DTD-HD MSTR mulch

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A24
タイトル
De Palma

最初から『めまい』(1958年)が出てきます。
1958年ラジオシティで見た。
そんな感じで『めまい』(1958年)を褒めています。
自分の作品も少しずつ入ってます。

生い立ちを語るデ・パルマ。
ニュージャージー
末っ子のブライアン・デ・パルマ。
5歳の時にフィラデルフィアに引っ越した。
父は著名な整形外科医。母は子育てに熱心。
コロンビア大学。映画に興味を持ったのは大学時代。
ベトナム戦争中で徴兵される心配があった。

それとは別にフランス映画が入ってきた。
『勝手にしやがれ』(1959年)
『大人は判ってくれない』(1959年)
『気のいい女たち』(1960年)
アモス・ヴォーゲルの映画館の会員になって見た。

Woton's Wake (1962)
実験作の短編。大学の同期 盟友のウィリアム・フィンレーが出ています。
ウィルホード・リーチが映画の恩師?

『ご婚礼』 (1963)
長編第1作。ロバート・デ・ニーロ、ジル・クレイバーグ、ジェニファー・ソルト、
デ・ニーロはオーディションでリー・J・コッブが乗り移ったかのようだったととか。
ウィルホード・リーチと共同監督。

The Responsive Eye (1966)
ドキュメンタリー。中編。
自分で撮影をしていたそうです。

Murder à la Mod (1968)
ヒッチコックの影響は受けてます。
カミソリでのどを切り裂く。これは『アンダルシアの犬』(1928年)なのでは?
ジェニファー・ソルト出演。
この作品から『ブラック・ダリア』(2006年)に引用したとか。

『黄昏のニューヨーク』 Greetings (1968)
aka『ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN II・黄昏のニューヨーク』<未>
ジャン=リュック・ゴダール監督の『中国女』(1967年)、『ウィークエンド』(1967年)の影響を受けてるそうです。

徴兵を何とか拒否出来たデ・パルマ。
医者通いしてアレルギー、呼吸困難を装う。診断書で徴兵を免れた。
それはともかく Greetings (1968) は酷評された。しかし抗議があったりして批評はまあまあになって興行もよくなったとか。

『哀愁の摩天楼』 Hi, Mom! (1970)
aka『ロバート・デ・ニーロの ブルーマンハッタン/BLUE MANHATTAN I・哀愁の摩天楼』<未>(1970)
エレベーターでロケしてキャストもその場で初めて会ってレイプシーンを撮ったとのこと。

ワーナーに行ったデ・パルマ。
マーティン・スコセッシ、ジョージ・ルーカス・フランシス・コッポラ、スティーヴン・スピルバーグと組む。
当時のスティーヴン・スピルバーグは自動車電話を持っていた。さすがユダヤ人の金持階級です。普通の受話器を使ってます。

ポール・シュレイダー脚本の『タクシードライバー』(1976年)の監督をマーティン・スコセッシに回したと話すデ・パルマ。ホントにそうなの?

Get to Know Your Rabbit (1972)
TVコメディアンのトム・スマザース主演。
オーソン・ウェルズも出ていたそうです。当時のオーソン・ウェルズは金を積めば何にでも出ていたけど。
トム・スマザースとは上手くいかず途中からいなくなった。
そんなわけで自分でも失敗作と言ってます。
それでニューヨークに帰ったデ・パルマ。

『悪魔のシスター』(1973年)
シャム双生児の設定。
キャストは知人ばかり。チャールズ・ダーニング、ウィリアム・フィンレー、ジェニファー・ソルト、マーゴット・キダー。
画面分割の説明をしてます。元は舞台を撮影する手法とのこと。舞台と観客を同時に映すのが目的。
『バリー・リンドン』(1975年)のスローズームショットについた話すデ・パルマ。カメラが引いていくシーン。

『サイコ』(1960年)
編集の話しになってまて。編集のポール・ハーシュとはずっと組んでるようです。

バーナード・ハーマンの音楽について。
マジでハーマンを呼んでラッシュフィルムに『めまい』(1958年)と『サイコ』(1960年)の音楽を付けたらハーマンが怒り出したそうです。
音楽が付いてるとスコアが浮かばないと言ったとか。ハーマンっていつも同じスコアなのでは?と突っ込んではいけません。
そんな感じでハーマンは気難しそうだと思っていたが実際そのようです。
それで音楽抜きのラッシュフィルムを見せて作曲してもらったそうです。

『悪魔のシスター』(1973年)の興行はまあまあだったそうです。

『ファントム・オブ・パラダイス』(1974年)
これがミュージカルの傑作なんです。
『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)より早い。あと『トミー』(1975年)と合わせて1970年代の絶品ミュージカル3本立てになります。

『マペットショー』に出ていたボール・ウィリアムズ。
彼には自分のパロディを演じてもらった。

同じ曲のアレンジの違いを見せるシーンが入ります。これは凄いなといった感じ。
どんなパターンもすぐに出来ますとなってます。それで選ばれたので何でパンクロックなのかの理由は不明。スワンが気に入ったからか?

制作費200万ドル以上。フォックスの買取価格は200万ドル。保険には入ってなかった。
それとは別に訴訟もあった。原作への権利侵害。同名のレコード会社。同名アメコミのファントム。
それでもヒットはしたそうです。
フランスでは10年上映された。ニューヨークはダメだった。

『愛のメモリー』(1976年)
これは邦題がダメだな。非常に損をしてます。こまったものです。
『ミーン・ストリート』(1973年)の編集の手伝いして発想を得た。
ボール・シュレイダーと一緒に『めまい』(1958年)の再上映を見て脚本を書いた。

クリフ・ロバートソンはヒッチコック映画のタイプキャストで選ばれた。クラシックで洗練された感じがしたのか?
ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドは普通のオーディションなのか?
それでクリフ・ロバートソンとは上手く行かなかった。何しろ主役はジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドなので自分が目立たなくなるとへそを曲げたとのこと。
撮影のヴィルモス・ジグモンドとクリフ・ロバートソンがもめたそうです。

スプリットスクリーンの解説をするデ・パルマ。
ジオプターと言ってます。何だかわからん。手前と奥の両方にフォーカスを合わす手法です。やってることは同じですがパンフォーカスとは違います。

音楽は引き続きバーナード・ハーマン。
ハーマンは『タクシードライパー』(1976年)も担当していた。
死ぬ間際まで仕事をしていたハーマン。

次の音楽担当はピノ・ドナッジオ。
『赤い影』(1973年)の音楽を担当していた。もしかしてイタリア人?→そのようです。
イタリア人にちゃんと仕事をやらすのは大変なのでは?
スタンリー・キューブリックでさえすぐ手を抜くエンニオ・モリコーネを使いこなせなったそうです。

しかしデ・パルマはイタリア系なので大丈夫だったようです。
『キャリー』(1976年)から8作品をピノ・ドナッジオが担当した。
幸い馬があったのかちゃんと仕事していたようです。

ここまでが独立系の作品で『キャリー』(1976年)からメジャーになるようです。

『キャリー』(1976年)
制作費180万ドルを要求したら首になったので160万ドルにしたとデ・パルマ。結局は180万ドルは使ったとか。
『スターウォーズ』(1977年)と同時期に制作されて俳優のオーディションがかぶる。
カート・ラッセル、ハリソン・フォード、マーク・ハミル、ウィリアム・カット、エイミー・アービングなど。
エイミー・アービングはレイア姫の候補だったとか。

デ・パルマはパメラという若手女優に入れ込んでいた。
シシー・スペイセクは自ら売り込んできた。

ロッカーのシャワーシーンは女優たちには嫌がれた。
しかしシシー・スペイセクが進んで演じたので撮影が進んだ。

ヒッチコックは見せ場でカメラを移動させると言っていた。そうなの?
それが血のバケツのシーンなわけです。

スプリットスクリーンを使ったがアクションにはあまり合っていなかった。
アクションとリアクションで情報量が多くなりすぎるとのことです。

エンディングは自分でも褒めています。
『脱出』(1972年)から思いついたそうです。いきなり手が出てくるシーン。

当時はUAが製作配給だったらしい。
そんなわけで社風に合っていないと言われたそうですが興行はよかった。
『キャリー』(1976年)の続編やリメイクが失敗するのを見るのはいい気持ちだと言ってるデ・パルマ。さすが偏屈です。
TVドラマ版もあったらしい。
原作では母親は心臓発作で死ぬらしい。胸を押さえて心臓発作?とデ・パルマ。医者の息子なので突っ込みたくなるようです。

次は1番条件がよかった『フューリー』(1978年)
制作費500万ドル。
そんなわけでスターも出演する。カーク・ダグラス、ジョン・カサベテス。
女優さんも大勢出てます。端役でダリル・ハンナも出ていた。
音楽はジョン・ウィリアムズ。

カーチェイスも撮った。しかしデ・パルマはカーチェイスには全く興味がない。
それで『フレンチ・コネクション』(1971年)のカーチェイスは絶対に越えられないと言ってます。

独立系の監督でも有名なジョン・カサベテスは興味深いがあまり上手くいってなかった。
ギプスをするのにももめていたとか。

『悪夢のファミリー』(1979年)
カーク・ダグラスが講義してるシーンがあります。
しかし映画学校はムダだと言ってるデ・パルマ。
批評はまあまあ。

『殺しのドレス』(1980年)
美術館でナンパされるシーンは実体験から。
アンジー・ディキンソンにマイケル・ケインも出ていました。
批評家とはもめたそうです。女性が惨殺されるのが問題になった。
展開は『サイコ』(1960年)と同じだそうです。主人公と思われたアンジー・ディキンソンが途中で退場となる。
デ・パルマは父親の浮気現場まで尾行し写真に撮ったり直接乗り込んだりしたそうです。これもこの作品に生かしてるそうです。

元妻ナンシー・アレンの話しになるデ・パルマ。
ジョン・トラボルタは彼女を気に入っていた。デ・パルマはもうナンシー・アレンで映画を撮るボルテージが落ちていたのとこと。

『ミッドナイトクロス』(1981年)
ジョン・トラボルタが出演するので制作費が上がったそうです。
カメラとスタビライザーと言ってます。要するにステディカムのことらしい。
ステディカムは登録商品名で使えないの?そんな感じ。

実際に音声スタッフから風の音を使いまわしするということからのアイデア。
『欲望』(1966年)の影響もあると言ってます。

写真から映像を作るのはいつもやってることだと言ってるデ・パルマ。
360度の回るカメラの話しになってます。テープリールの回転に合わせてカメラが回る。カメラが1周するたびに棚から物が無くなっていく。とにかく撮影とスタッフが大変だったとか。見えないとこでは大忙しというわけです。

最後のシーンはいいシーンだと自分でも褒めてます。
いい悲鳴だと耳をふさぐジョン・トラボルタ。

『スカーフェイス』(1983年)
『暗黒街の顔役』(1932年)のリメイク。アル・パチーノの企画。
デビッド・レーブの脚本。それでレーブは降りた。そうなると監督も降りるのがこれまでのパターン。
それでシドニー・ルメット監督とオリバー・ストーン脚本になるはずだった。
しかしシドニー・ルメット監督は『プリンス・オブ・シティ』(1981年)に行った。

フロリダでロケに入るとキューバ移民ともめた。キューバ人がギャング?けしからんとなったわけです。
そんなわけでフロリダからカリフォルニアのロケになった。
『ゴッドファーザー』シリーズみたいに暗くせずに画面は明るく撮った。
ビル等をパステルカラーにしているわけです。

ラストの銃撃戦シーンにはスピルバーグが手伝いに来ていた。
オリバー・ストーンは勝手に演出をやり始めたので撮影現場から放り出した。
そんな感じで言いたい放題になってます。

チェーンソーのシーンについて。
このシーンは目を背けたくなるが肝心の切断シーンはありません。
レイティングはもめていくら編集してもR18になった。そんなわけで最初のバージョンに戻したとか。

最初の批評は悪かった。興行はよかった。批評もまあまあになった。
10年ぐらいしたらヒップホップ系に支持されカルト映画になった。
ヒップホップバージョンを作りたいと言われたがさすがに断った。
音楽やゲームに影響を与えてる『スカーフェイス』(1983年)
ゲームは『グランド・セフト・オート・バイスシテ』 Grand Theft Auto:Vice City
そんわなけでいきなりイケてる監督になってデ・パルマ。

『アクト・オブ・ベンジェンス』 Act of Vengeance (1986) を撮るはずだったデ・パルマ。
プロデューサーはジェリー・ブラッカイマー。
そんなこんなで『フラッシュダンス』(1983年)の監督になるはずだったデ・パルマですが賢明にも降りたそうです。

『ボディ・ダブル』(1984年)
演技講習のシーンで冷蔵庫に入って云々は実体験から来たそうです。
グレッグ・ヘンリーのことは言わない。隠れた常連俳優なのに。アルフレッド・ヒッチコック監督作品のレオ・G・キャロルのようなものです。

ヒロインのモデルになったアネット・ヘブンをオーディションして大騒ぎになった。
ポルノ映画と普通の映画は全く別の業界になっていたからです。
その代わりがメラニー・グリフィスになった。デ・パルマ的にはティッピ・ヘドレンの娘というのも大いに選んだ理由になるでしょう。

歩くシーンは撮りたかったと話すデ・パルマ。
そんなわけだ映画史上最長になったと言ってます。
このシーンは上手く撮れてます。『めまい』(1958年)の手法を完璧に使いこなしてます。

ミュージックビデオも入れたと話してます。
このバンド フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド は典型的な1発屋でした。まあいいけど。

マスコミ向け試写会を終えてあなたはきって殺されると言われたデ・パルマ。
それは電動ドリルで女性を惨殺するシーンがあるからです。不必要に長いドリルは2階の床下から1階の天井まで貫くために必要だった主張するデ・パルマ。
そんなわけで公開当時は酷評された。

"Dancing in the Dark" (1984)
ブルース・スプリングスティーンのミュージックビデオ。

Wise Guys (1986)
ダニー・デビートとジョー・ピスコポ主演のコメディ。
この作品は日本では全く紹介されない謎の作品。

『危険な情事』(1987年)の企画にもかかわったデ・パルマ。監督は降板した。
パラマウントから大作の依頼を受ける。

『アンタッチャブル』(1987年)
ドン・ジョンソン主役がいいと思っていたデ・パルマ。
プロデューサーのアート・リンソンはケビン・コスナーを押した。
アル・カポネ役は最初はボブ・ホスキンスだった。
ショーン・コネリーはボンド役以外のいい役を探していた。
アンディ・ガルシアはホトンド無名だったような。2018年現在では渋いオジサン役で引っ張りだこです。
このままで英国ドラマになる。アメリカ的にしたいのでロバート・デ・ニーロにした。
もうデ・ニーロは高額ギャラになっていた。

音楽はエンニオ・モリコーネです。まじめにやってます。
5パターンぐらい書かせたと言ってるデ・パルマ。マジ?。イタリア系なのでイタリア人を使うの上手いのか?

ラストの殺し屋とのアクションシーンが入ってます。
長回しには音楽が必要とのこと。盛り上がるそうです。

有名な階段シーンの解説になります。
そもそも汽車での追跡シーンが撮れなくなったので階段になったとか。
私の頭の中にはアイデアがたくさんあると豪語するデ・パルマ。アイデアではなくコピーの間違いなのでは?と突っ込みたくなる。

ショーン・コネリーが殺されるシーンの解説。
コネリーは撃たれる演技は初めてだった。ジェームズ・ボンドは撃たれこことがない。
死ぬシーンは2テイク目もあるのかと嫌がっていたコネリー。

公開当時のライバル作品はウィリアム・ディア監督の『ハリーとヘンダスン一家』(1987年)だった。ジョン・リスゴー主演だ。
さすがにこの興行の勝負には勝った。

『カジュアリティーズ』(1989年)
陰々滅々な戦争映画です。映画史的でも最高になりそう。
デ・パルマは徴兵忌避者なので戦争映画に対してそういう感じになる。
戦争で正しくあろうとした兵士がおかしくなるのも当然だと主張するデ・パルマ。

マイケル・J・フォックスはいい演技をしてると思える。
当時のコロンビアは女性社長でマイケル・J・フォックスを押していた。

ショーン・ペンは撮影中でも演じていた軍曹そのものだったとのこと。
最後にショーン・ペンがマイケル・J・フォックスに実際に言っていたセリフは『TV俳優め』と言ったとか。ベトナム戦争とは関係ないので本編では当然吹き替えられた。

タイでロケされていた。とにかく暑いので思考能力まで奪われる。
ジャングルにトンネルのシーンは絶対に撮りたかったので、あのようなセット丸出しな撮り方になったそうです。そのまま断面図になっていた。

被告人弁護士がマイケル・J・フォックスを責めるシーンはカットになったとか。
あとから戻したとデ・パルマ。

この手の映画は試写しても無駄だと言ってるデ・パルマ。
見てスッキリしたとは絶対にならないからです。
自分でも繰り返し見るのが辛いと言ってるデ・パルマ。
ウィリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年』(1946年)ですら繰り返し見るのは辛いそうです。

批評家のポーリーン・ケイルの批評はよかったそうです。
女性によりそった映画でもあるからか。
そんな感じで評価は賛否両論。興行はダメだった。

『虚栄のかがり火』(1990年)
これは自他共に認める失敗作。ワーナーから持ち込まれた企画。
『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942年)の主人公のようにクズな奴が主人公。
しかしトム・ハンクスの個性に合わせて善人にしたのでおかしくなった。
女優さんはメラニー・グリフィスでしたが全く無駄な仕事になった。

そんなわけでアレクサンダー・マッケンドリック監督が再起不能になった『成功の甘き香り』(1962年)の二の舞になるとこだったデ・パルマ。
トム・ハンクスを善人にを始め色々と妥協して散々な結末になった。
この作品の顛末が本になってるそうです。『ザ・デビルズ・キャンディ』?

そんなわけで引っ越してゲイル・アン・ハードと結婚したデ・パルマ。
それで初心に帰って撮った新作は・・・

『レイジング・ケイン』(1992年)
不倫してるのは実体験からだそうです。
多重人格が前半、途中から昼メロな不倫が入る。そんな展開。
最初は不倫で途中から多重人格にしようとしたが、多重人格が強烈過ぎて変更になったそうです。

ジョン・リスゴーについた話すデ・パルマ。
ビリー・ワイルダー監督がフレッド・マクマレーを悪役に使うようなものだそうです。

ゲイル・アン・ハードとは別れたデ・パルマ。娘が出来たのはよかった。

『カリートの道』(1993年)
美術担当のシルバートを褒めてるデ・パルマ。店のセットが素晴らしい。
撮影は大変だった。病室のシーン。駅のシーン。俳優たちは競ってるし。

アル・パチーノが電車の中を走って逃げるシーンは延々と撮っていた。
あまり走らせ過ぎたので途中でアル・パチーノが帰ってしまったとか。

最初は貿易センタービルで撮るつもりだった。
それが爆弾テロで撮れなくなった。まだ飛行機が突っ込む前の話しです。

ちゃんとグランドセントラル駅でロケしたのこと。
ここでもステディカムとは言わずスタビライザーと言ってます。
死ぬとこでのフラッシュバックはフィルム・ノワールを参考にしてるそうです。
撮り終わってこれ以上の映画は作れないと思ったそうです。

『ミッション・インポッシブル』(1996年)
ヒット作が撮りたかったので渡りに船の雇われ監督だったそうです。
何しろトム・クルーズのスター映画です。
脚本のデビッド・コープはクビにされてロバート・タウンになった。
それでも監督はやめないデ・パルマ。結局コープとタウンを一緒にさせて書かせたとか。

追う物は何でもいいと主張するデ・パルマ。
『北北西に進路を取れ』(1959年)が引用されてます。いわゆるマクガフィンです。物語の鍵にはなるがそれ以上でもそれ以下でもない。これがマクガフィン。

宙吊りや列車のシーンの解説です。
タウンの脚本だとマスクを取ったとこでエンドになってたそうです。
それでヘリコプターをトンネルに入れてどうするとか口論になった。ここはトム・クルーズの判断に任せることになった。
そんなわけでトム・クルーズが同意してくれ列車シーンを撮ることになった。
視覚効果も使いすぎるとアクションシーンが退屈になる。
そんなこんなで興行は大ヒットになった。

離婚したデ・パルマはニューヨークに戻った。
デビッド・コープと撮ったのが・

『スネーク・アイズ』(1998年)
この作品はプロローグの長回しのシーンがハイライトです。
『羅生門』(1950年)的な話しにしたかったそうです。

『見知らぬ乗客』(1951年)が引用されてます。
テニスの試合のシーンを参考に、ボクシングの試合シーンを撮った。
要するに試合は見せずに観客のリアクションを撮った。

この作品ですがカーラ・グギーノが出ていました。ブロンドからブルネットにしていた。
オリジナルのラストは大波が来て色々となったらしい。結局没になった。
エンディングは大変だと主張してるデ・パルマ。
制作費4000万ドルなのでそんなに高くはないとのこと。『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)は1億ドルだ。

『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)
特殊効果にはとにかく金がかかると愚痴が出てるデ・パルマ。
予算と期日に追いつめられていった。
そんなわけでハリウッドのスタジオシステムに懲りてパリに向かったデ・パルマ。
この作品はアメリカで撮った最後の作品。

『ファム・ファタール』(2002年)
批評の話しになるデ・パルマ。いい批評は滅多にないので愚痴になります。
それでも有名なポーリーン・ケイルには気に入られていた。

『ブラック・ダリア』(2006年)
ダシール・ハメットの小説のような意味不明にしたかった。
ブルガリアでロケ。

『裏窓』(1954年)の引用話しがあります。
それから子供時代に兄をかばっていた話しになるデ・パルマ。

『リダクテッド 真実の価値』(2007年)
イラクが舞台。徴兵忌避者らしい話しになってます。
レイプされる役のザハラという女優さんについて話すデ・パルマ。
実際の難民だったザハラ。役を立派にやりとげた。あとのことが心配なのでアメリカまで連れて来て学校に入れたとか。

『パッション』(2012年)
これが今のところの最新作。
レイチェル・マクアダムズが主演してるので早く見たい。

『めまい』(1958年)が引用されます。
ヒッチコック主義に追随してるのは自分だけだと主張するデ・パルマ。
視覚的に物語りを語る手法は彼と共に死んだ。
その手法は私だけが引き継いでるのと主張してるデ・パルマ。大した自信です。

監督の最盛期は30~50歳代と主張するデ・パルマ。
ヒッチコックがそのいい例だ。

街を歩くデ・パルマ。さすがにおじいさんそのものです。
体力がないと監督は出来ないとのこと。
私の妻は映画だとなってます。だから結婚生活は上手くいかなかったのか?

最後のスティル画像が何なのかはわからん。
エンドとなります。

後タイトル
スタッフの紹介。
引用された映画リストが壮観です。


そんなわけで映画ドキュメンタリーのよい作品でした。


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