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2011.12.03

『時をかける少女』(1983年)

この作品は大林宣彦監督、原田知世、高柳良一、尾美としのり主演のタイムリープ物ラブロマンスのようです。
なおこの文はネタバレ全開となっています。

1983年 角川春樹事務所/PSC/東映 日本作品
ランニング・タイム◆104分
プロット◆思いがけず会って別れる話しのようです。
音楽◆松任谷正隆
角川書店発売のDVDにて。画質は普通です。こんなものでしょう。スクイーズ収録のフル表示。画面サイズはワイド。上下左右黒味無し。フルスクリーン。
音声はドルビーデジタル5.1chで見ました。サウンドリニューアルはホトンド変えていません。セリフや効果音に音楽がクリアになってるくらいで変にサラウンドはしていない。サラウンドしてリアに回ってるのは雷と時計の音ぐらいでした。

キャスト
原田知世→時空をかける芳山和子
高柳良一→浮世離れしてる深町一夫
尾美としのり→醤油屋の息子の堀川吾朗
津田ゆかり→委員長の神谷真理子
岸部一徳→やるが無さそうな福島利男先生
根岸季衣→やる気満々の立花尚子先生
内藤誠※友情出演→芳山和子のパパ 芳山哲夫
入江若葉→芳山和子のママ 芳山紀子
きたむらあきこ→堀川吾朗の母 堀川貞子
升元泰造→醤油屋の丁稚 竹尾源造
高林陽一※友情出演→怪しい時計屋の男
松任谷正隆→深町一夫の父親(写真)
上原謙(特別出演)→深町正治
入江たか子(特別出演)→深町たつ

大林宣彦監督の演出はよいと思います。
この頃からデジタル合成があったらよかっただろうと思います。現在の大林宣彦監督にはもうこういう話しの作品はは撮れないから・・。

そんな感じでDVDでリニューアルしたからといっても映像は全くいじっていません。
普通は不出来な特撮や合成はデジタル合成等の現在の撮影技術でいじりたくなると思うがやっていない。この点は大林宣彦監督は偉い。さすが映画作家は違います。
DVDリニューアルはサウンドをクリアにしただけです。セリフと音楽がクリアになってるのです。

この作品は始まってしぱらくは気恥ずかして見ててムズムズしますが09:87のシーンあたりからはよくなってきて、あとはラストまで行けてしまいます。

こんな奴ら現実にはいないよという突っ込みは当然あります。その答えは、この作品は一種の様式美の極地に達しています。となります。

キャストで・・
原田知世は一重まぶたが少し埴輪っぽいけど可愛い。
エクボができるんだね。「お願い」のセリフはいい。
運動神経はよさそう。ウサギみたいにピョンピョン撥ねる。
「さよなら」のセリフはいい。
このキャラクターはおとなしい性格の割りには思い込みの激しい性格でもあるアンバランスさがいいのかもしれませはん。
エピローグのおかっぱのカツラもいい。

高柳良一はリタイヤして正解のようです。
尾美としのりはどうしてるのか知らない。まだやってるのか?

あいさつしているだけでいい感じ。
映画批評家の双葉十三郎は日本映画はあいさつばかりしていて駄目だと批評していますが、例外はあるもので、この作品がそうです。原田知世が「ありがとう」「ごめんなさい」と言うのを見てるだけでいいのです。

この作品は尾道を一躍有名にした作品でもあります。
ロケをするならこのくらいはやろう。

4.17(土)~4.18(火)までの話です。で、話が話だけにフラッシュバック、タイムリープで盛大に前後します。
リーレコがあまりにもあからさまです。外のシーンなのにセリフの響きはモロに室内そのものなのです。リアルがウリの作品ではないからまあいいかなと思う。

この作品と2本立てになるのは『パプリカ』(2006年)か?、それより『HOUSE ハウス』(1977年)の方が合ってるように思えます。
「ありがとう」のセリフで2本立てが出来ます。もう一本は『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』(1970年)
です。
「さよなら」のセリフは『未知への飛行 フェイル・セイフ』(1964年)でも出てきます。これがよかったのです。互いに見知らぬ人なのに「さよなら」の言葉が出てくるのがいいのだ。


DVDのクレジットは・・・
角川映画
角川書店プレゼンツ
PSC

角川春樹事務所のタイトルはありません。ここだけは変更している。
諸般の事情というか兄弟ゲンカでなかなか難しいとこなのです。

プロローグ
モノクロ スタンダードサイズ。
スキー場のシーンとなります。
ここで深町深町一夫と出会う芳山和子。
ところでこのシーンで堀川吾朗が手を叩くとこでの音がスタジオ内でそのまま録った音なのが相変わらず気になります。何で効果音と入れ替えない?。
スキーが足りないのがちゃんと伏線になってるわけです。
電車のシーンから部分的に色が付き出してくるようです。

タイトル。
尾道の町並みが描写されます。瓦屋根が美しく撮れています。
手前の瓦屋根から奥までフォーカスが合っています。パンフォーカスなのか遠近合成なのかはわからん。
ここまでスタンダードサイズ。

本編になるとワイドスクリーンになっています。
4月16日の土曜日。
登校する風景。
桜の樹は実物をわざわざ持ってきたり合成だったらしい。

授業の風景。
昔の人は歌にして覚えました・・
授業が終わり理科室の掃除の前に福島利男先生が神谷真理子に実験室のカギを渡しています。

廊下にて。
神谷真理子から実験室のカギを預かる芳山和子。

理科室にて。
12時45分頃です。
掃除をしてる3人。芳山和子、深町一夫、堀川吾朗。
ごみ捨てしてる男2人のシーンの次が問題の実験室のシーンになります。

このへんの印象は昔見たままです。よかった。
それは今になって見返すとなんだいこりゃとなる作品が結構多いのでそう思います。

実験室にて。
怪しい雰囲気からラベンダーの香りで倒れる芳山和子。

深町一夫、堀川吾朗に倒れているとこを発見される芳山和子。
ここで「抱いてくれないか」と「足の方がいい」とか随分とアレな思わせぶりなセリフが入ります。
決めのセリフが「重いな」とはそれは失礼ではないかと思える。

保健室にて。
立花尚子先生と福島利男先生がいます。
芳山和子が誰かがいたと証言して大騒ぎになって、また実験室を見に行くことになります。

実験室にて。
もう午後2時になっています。
先生2人に生徒が3人そろう。室内は全く異常がありません。

帰りのシーンとなります。
3人で歩いて帰宅となっています。
堀川吾朗の醤油屋の自宅に着きます。帰宅する堀川吾朗。
あいさつしてる堀川吾朗の母。
それにしてもこの作品はやたらとあいさつをしています。それがいいんだけど。

深町家に着きます。
深町一夫の祖父と祖母がいます。お茶でもと呼ばれる芳山和子。
で、ラベンダーの香りがするので温室に入ります。
ここの「私、ラベンダーの花が見たいの」というセリフがいい。
で、「お茶はいいわ」と断って帰宅する芳山和子です。

自宅にて。
4月17日の日曜日。
壁には『オズの魔法使』(1939年)のポスターが貼ってあります。
枕元のデジタル時計が09:87のシーンです。
叩くと10:27になります。
エンジェルのキス人形のシーンもあります。フラッシュバックが入ります。深町一夫と芳山和子。

茶の間にて。
TVが古い。ブラウン管でチャンネルが回すつまみタイプ。しかもUHFがなくてVHFのみ。リモコンになってもチャンネルを回すというのはチャンネルをループすることではなく、このつまみのことを言ってるのです。
ここでママに紅茶を入れてもらってとこで時間が飛んでる芳山和子です。

散歩に出る芳山和子。
階段を下りるとこで遠景の作画合成があります。

堀川吾朗の醤油屋に入る芳山和子。
一升瓶に醤油を量って注ぐシーンで「ちょっと待って」と言われて「ごめんなさい」言う芳山和子。
汚れた顔を拭いたハンカチを返す芳山和子。「ありがとう、さようなら」のセリフがいい。

醤油屋付近にて。
醤油屋を出て帰る芳山和子を見ている神谷真理子。

堀川吾朗の醤油屋にて。
屋上に上がる堀川吾朗。芳山和子に洗ってもらったハンカチを顔に被るシーンとなります。
それは変態行為なのではとも思えますがいいシーンです。

4月18日の月曜日。
シーン転換がワイプではなく何て言うのか左からスライドして入ってきます。
神谷真理子から昨日街中で見かけた話しをされる芳山和子。
体育のシーンとなります。白いブルマの芳山和子。
漢詩の返り点を付けるのが出来ない芳山和子。先生のネクタイが伏線。
部活の弓道のシーンとなります。途中でやめてる芳山和子。

帰宅途中が雨が降り深町家を通り過ぎてそのまま帰宅する芳山和子。

自宅にて。
漢詩の復習?をしてる芳山和子。
キス人形が自然と動き、どうなるかというと地震が起こります。
まず市松人形が不気味に動き芳山和子に飛びかかってきます。それから地震です。
お父さんは酒を持ち出しています。

地震といえば現実の2011.03.11の地震は凄かった。5分以上揺れていました。

自室に戻る芳山和子。
俯瞰ショットでステレオの大きいラジカセが置いてあるのが気になります。
次は火事騒ぎになります。
見物しに出かける芳山和子。4月の夜はまだ寒いのでは思えるが軽装の芳山和子です。
階段を下りるとこで街灯の灯がハレーションが見えるのが気になります。まあそんなことはわかってて撮ってるでしょうけど。

堀川吾朗の醤油屋前にて。
芳山和子のとこに深町一夫が来ます。
ここのシーンで消防のホースが足に引っかかりおっかなビックリによける堀川吾朗の母が何となく気になります。

竹林の夜道を歩く芳山和子と深町一夫。
深町家まで来てさようならとなります。ここで深町一夫は明日は学校を休む話しをしています。

帰りの芳山和子。
階段を登り暗い路地に入ります。ネコが鳴いたりして怪しげな雰囲気から危ないとこで目が覚めます。

4月19日の火曜日。
08:08に目が覚める芳山和子。遅刻すると大騒ぎで家を出る芳山和子。
その前にカレンダーの4月18日の月曜日をめくっています。

登校中の堀川吾朗に追いつく芳山和子。
屋根の瓦を落ちてきて、これは大変となります。
ここで目が覚める芳山和子。

4月18日の月曜日。
07:06に目が覚める芳山和子。
キス人形のシーンではフォーカスを手前と奥をビシッと移動させて合わせています。見事な撮影です。
日付が合ってるカレンダーの4月18日の月曜日をめくる芳山和子。
ちゃんとやったと訴える妹を無視して家を出る芳山和子です。

瓦が落ちた屋根を見てる芳山和子。
このようなショットだけでも素晴らしい。

学校にて。
校庭で福島利男先生のネクタイを見たことがあると言う芳山和子です。これで立花尚子先生と福島利男先生がもめています。

教室に入り4月18日の月曜日と黒板に書いてありビックリしてる芳山和子。
堀川吾朗に地震と火事の話をするがそんなことは全く知らない堀川吾朗です。
深町一夫がいるので何でいるの?と問いかけるが授業開始となります。

授業にて。
体育の授業は休んでる芳山和子。
漢詩の返り点がちゃんと付ける芳山和子。
弓道です。また途中でやめている芳山和子。

帰宅途中で時計にて。
怪しげな時計屋です。時計の針がアニメで飛んできます。
ここから『HOUSE ハウス』(1977年)が見たくなった。今度見ましょう。

雷の音はサラウンドしてリアまで回り込んでいます。
雨の中を帰宅途中に深町家前を通りかかる芳山和子。
深町一夫に呼ばれて雨宿りする芳山和子。
仏壇の遺影とか色々と伏線が入っています。

「深町一夫のお部屋に上がるのは初めてね」と芳山和子。
回想に入ります。
ひな祭りです。
ももくり三年を歌う子役の芳山和子と深町一夫。
鏡を倒して割ってしまいます。芳山和子は手に深町一夫を親指をに傷を負います。

回想から戻ります。
パジャマを見せてと頼む芳山和子。これがパジャマではなく和服でした。
「私はどうかしちゃっと」訴える芳山和子。時間が戻るとのこと等・・
で、「それは初めてなのに見たことがある現象のデジャビューだ」とごまかす深町一夫です。

温室にて。
水をやりながら『ももくり三年』の歌のシーンとなります。
その歌の続きを歌う深町一夫。
ラベンダーの芳山和子になるとメインのスコアになっています。音楽の使い方が素晴らしい。

この辺の印象ですが、これはビックリで昔に見た通りとなります。

自宅にて。
地震に備えてる芳山和子。
市松人形を落ちないように押さえて、すぐに出かける芳山和子。

地震で石灯籠の灯が点滅してるとこを走る芳山和子。

堀川吾朗の醤油屋前にて。
まだ火事は始まっていません。
深町一夫も来ています。これはビックリでパジャマを着てる深町一夫。
火事騒ぎになりますが、ここを離れる芳山和子と深町一夫。

階段を登るとこでまた街灯の灯のハレーションが見えます。

竹林の夜道を歩いてる芳山和子と深町一夫。
移動する話しから、時間はタイムリープ、空間はテレボーテシーョンと説明する深町一夫。
深町家に着いて「明日は植物採集ね」と言う芳山和子。
で、深町一夫の指に傷跡がないことに気がつく芳山和子。思い出の傷跡なのにとがっかりしています。

4月19日の火曜日。
起きたとこで登校中に瓦が落ちる事故が起こることを思い出す芳山和子。家を飛び出します。

走ってようやく堀川吾朗に追いつく芳山和子。そこに瓦が落ちてきます。
騒ぎが終わったとこで堀川吾朗の指に傷跡があることに気がつく芳山和子。愕然としています。
ここではパッパッパッとズームではなくカット割りで寄ったり引いたりする手法を使っています。→パッパッパッとカット割りで寄る手法は『鳥』(1963年)で印象的に使われています。
神谷真理子も駆けつけています。ですが、そんなことにはおかまいなしでこの場を放ったらかしにして駆け出す芳山和子です。

深町家にて。
呼んでも誰もいないので温室に突入する芳山和子。
ラベンダーの花の匂いでタイムリープとなります。ラベンダーの花の奥にフラスコがあって、この薬品の効果もあったようですが・・・

時空をかける芳山和子のシーンになります。
カメラが移動しています。スティル画像をつないでいます。
時計の時を刻む音がサラウンドしています。このぐらいの効果で十分です。

海岸で植物採取の深町一夫のところへジャンプしてる芳山和子。
互いに手を掴むアップショットがあります。これがいい。
ラベンダーの話しからまたタイムリープとなります。
「あの時に戻れる?、土曜日の実験室」のセリフがあります。
目を閉じて土曜日の実験室を思い集中する芳山和子。
海岸の崖から文字通りジャンプして時空をかけることになります。

時空をかける芳山和子。
この辺から怒濤の展開となります。ちゃんと本物の怒濤も出てくるし。

まず来たのはお参りをしてる芳山和子の両親。
子供の芳山和子は姿を消します。この作品では同じ人間は同時に存在出来ない設定なのでそうなっています。

またカメラが時空をかけて・・・
思い出のひな祭りにジャンプする芳山和子。
相手は深町一夫ではなく堀川吾朗でした。妙に似てる子役が何だかおかしい。
ここで鏡を割って手に傷跡が出来たのです。

またカメラが時空をかけて・・・
深町家のお葬式にジャンプする芳山和子。
遺影から深町一夫は死んでいたとわかります。
ここで弔問のおばさんのわざとらしい説明セリフが入るのが少しマイナスポイントです。
これはどういうことなのと軽くパニックになってる芳山和子。

またカメラが時空をかけて・・・
深町家のお葬式の続きで霊柩大八車が進む。

時空の怒濤の中をさまよう芳山和子。
深町一夫が現れて芳山和子を土曜日の実験室へと導きます。
ここはセリフが「土曜日の実験室」だけで描写してる素晴らしいシーンです。

時計の音がサラウンドしています。
時空を中を土曜日の実験室へと向かう芳山和子。

4月16日の土曜日。
普通に戻ります。
授業が終わり。神谷真理子から実験室のカギを渡される芳山和子。
「今日は土曜日ね」と確認して何故かうれしそうな芳山和子。時間が戻っても記憶はちゃんとあるようです。
理科室の掃除当番は3人から2人になっています。
芳山和子は堀川吾朗の傷跡を確認します。「ありがとう、ごめんなさい」のセリフが素晴らしい。
で、堀川吾朗はトイレに行く。
それで実験室に静かに突撃する芳山和子です。

土曜日の実験室にて。
深町一夫が待っています。自分は未来人だと告白しています。
そんな話しは当然信じない芳山和子です。
お別れは今限りだ言われる芳山和子。
深町一夫の話だと会っていたのは1ヶ月。スキー場の夜からだとのこと。
それでは思い出のひな祭りは?と聞かれ「堀川吾朗君の記憶を借りていた」と説明し謝罪する深町一夫。
芳山和子の「忘れないわ」「私にはわかるわ」のセリフが素晴らしい。
で、いよいよ別れのシーンとなります。

エピローグ。
画面サイズが本編のワイドスクリーンからスタンダードサイズに戻っています。
1994年4月16日の土曜日。1983年から11年経ったわけです。
自宅にて。
年数分だけ歳を取った芳山和子は大学へと出かけます。
深町家の前を通りがかる芳山和子。
ここで深町家の年老いた夫婦のシーンが長めに入ります。これは演じる上原謙と入江たか子に敬意を払った演出でしょう。

大学にて。
堀川吾朗から電話です。デートの誘いを断ってる芳山和子。
本をたくさん抱えてドア開けて廊下に出る芳山和子。
深町一夫とぶつかります。実験室の場所を聞かれる芳山和子。互いに相手が誰なのかわからないようです。

立ち去る深町一夫と芳山和子を逆ズームで描写しています。
互いに気がついたのかなと思ったらスーッと画面手前と奥に離れていく芳山和子と深町一夫となっています。

で、違う廊下を立ち去る芳山和子。
エンドとなります。

後タイトル
ここはミュージカルとメイキングが合わさったようなシーンにになっています。
音楽とシンクロしたカット割りになっています。これがいいんです。
原田知世のヘタウマな歌もいい。聞けば聞くほどいい。
ここは傑作です。素晴らしい。
公開当時はここだけを見たくて劇場通いをした人がいたと思います。

今回見て思ったのは凄いな昔見たそのままだとなります。そりゃそうだけど。
2本立て公開だった『探偵物語』(1983年)はもう全く見る気がしないけど『時をかける少女』(1983年)はまだ見れます。
この作品は原作と映画が全然違うケースでしょう。
そんなわけで土曜日の実験室なよい作品でした。これは傑作です。


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コメント

随分、詳細な観察ですが。。笑。。

別の観点からってことで。。
まず、この小説が書かれたのは1967(S42)、私が中1で同志社女子中に入学した年でした。
大学紛争で東京では赤軍派事件や飛行機が落ちたりが続き、金大中氏事件何かっが起こる冷戦が変化した年でもあります。
キコさんが前年生まれ、すぐにペンシルバニア大へ移住しています。
コロンビア大学学生紛争が、ペンシルベニア大へ入る前の準備のように?手続きのように!
英国教会の誇りある歴史のコロンビア大学に、マッハッタン計画の続きのように!予備役将校養成海兵隊将校の校舎、建設に反対する事件で始まる。。「いちご白書」とのリンクのようです?
私には、先月始めて、いちご白書という映画のことを知ることができる、ブログやホームページに行き当たりました。しかし、、情報操作の徹底って、凄いね!

ハトキーンさん、かなりの映画オタクですよね?
でも、、たんたんとしていて、熱っぽさがあまり感じられません?
そういう点でで、平成世代のようにも思えますが、、笑
大林監督の影響を受けた作品まで、解説してくれていて、
あれ?これ、どこかで同じような印象を受けたことがある?とくすぐったく思っていたところまで、書いて下すってる。。笑
心理士みたい。。。
でもね! 岸部一徳さん始め、この映画の妙味って、実はたんたんとしたフツーっぽさが狙いだったように思えるのです、大林監督のね!?
原作との印象が随分と違うけど、原作って、筒井氏って、ちょっと現実感がない人なのかな?と、
作品との間に距離感を感じさせてしまうように思うんだけど?
大林監督のすごいところって、本来、ぶきっちょな筒井氏の作品をおそらく?彼が本来、狙ってた身近な親近感の中で、時空間を超越、俯瞰させた視点の大切さをテーマにしたんじゃないのかな?って思うんだけど。。?
ハトキンさんには、やる気のない教師に見えたかもしれないけど、苦笑
でもね、昭和世代の大人って、こんな感じがフツーだったし、
冷静、深い洞察を持つ人が、こんな感じで、たんたんと真相や真実を見つめていた、
見逃さなかった、育んでいた、って感じだったよ。
平成、阪神大震災以降、吉本の台頭でか?イジョーに扇情的な言動の人たちの露出が目立った中で、この作品が、フラットに感じるのかも知れない?
ただ、、藤田まことさんはじめ、昭和の30年代にテレビで放映された日本映画って、
こういう感じでたんたんと日常的な空間、セリフの合間をきっちり静けさで綴っていて、
昨今のように絶えず、電子音や騒音に囲まれていない日常生活の穏やかさ、自然な背景音、雨音や風、雀の鳴き声で時間やお天気、セミで時間や温度などを感じさせ、
売り子の声で、暑くても昭和後期以降のような、アスファルトの砂漠系酷暑ではなく、風が通り、木造や土や木立や川で、光も熱も優しく吸収され反映されてる夏や、冬を思ったり。。
寒くって、しもやけが出来るほどだけど、息が白くなる温かさに生命力を感じさせられたり、、、

こういう感性で、私はこの映画が扱ってるテーマの敷衍した思考法というのにも関わらず、とっても親密に見ることができた。
なお、、岸部一徳さんは弟さんの方で、これはタイガースの最初からのメンバーの岸辺太郎さんのはず。。
途中から、ひょうきんでとぼけた弟さんの一徳さんがグループに参加したけど、
太郎さんって、グループの中で一番、冷静というか?グレーで言うと、タクローさんみたいな感じ。。容姿の美醜を超えた二枚目。
昭和の一般的な良識のある男性像です。。
さて、、海風に吹きつけられる海岸の崖で、植物採集をしてる深町に合う場面ですが、
私は、アルプスの少女ハイジのヤギを思い出しました。
おじいさんが、飼ってるヤギの中で、一番元気なヤギが難所に早春生える栄養を大地から吸った草を食べ、いいお乳を出し、それでクララの病弱の解消となります。。
大自然の環境と生命リズムで、心理的にも健康に戻って行きます。。
街で高いお薬を服用していても治らなかったのに、見事、歩けるようになるのです。
深町君がやって来た未来に近づきつつある平成ですが、、
抗生物質の問題、つまり感染症が異常に多発し、死に至っています。。
この抗生物質、抗菌剤って、そもそもは、太古の地球の歴史で、
菌の起源と並行して、生き抜いてきた大地や水の栄養を吸収して生えた草や麦などから成分を抽出、特定化して作り出されてきた歴史があるようです。。
阪神大震災以降、911以降のテロリズムと、まるで、生活感を感じられないどこから来た人たちなんだろう?民族なんだろう?って感じる新人類の大出現と感性や洞察力の不自然さに翻弄される【今】を、実は、筒井氏や大林氏は伝えようとしたもではないか?
大林監督のカッパと水の作品は、子供と一緒に夏休みに映画館でみましたが、、
実は、この作品は、新人類に、在来人類の古代からの継続性を感性で伝えようとした作品だったにではないか?って、今、振り返ります。
自然が創り出した生命と、人為的に作り出された生命と。。
野菜でも、汚染された土、水、空気でできるより、
工場内で人工的に栽培された野菜の方が安全で、良いという思考法でサプリの流行があるが、
これはS46に日本女子栄養大学の成分表で、トマトの栄養価が急に変更があったと、家庭科の児玉先生が終業の鐘がなった時に、急いで付け加えられた。それが、先生の最期の授業、言葉となった。。B型劇症肝炎で京大病院で亡くなられた。
トマトの水栽培、工場栽培で、太陽光に当たらないため、ヴィタミンCが激減したということを話す先生の声が、鐘と合わさって、初めてで、先生の声を上げられるのを聞いた。。
きっと、どうしても、伝えなくては、と思い立たれた?今度の授業では間に合わないと思われたのか?いつも冷静で完全主義の先生が、声を高くして音が終わる前に話されるということは無かったし、生徒の信頼や尊敬も集めてらしたので、鐘が終わってから話されるのが、先生らしかったはずですのに。。
児玉先生が、ミス・デントンの実際の教え子でいらしたミス・佐々木を同志社女子中の英語教師として支えられ、ミス・佐々木に中1の担任を受け持ってもらった学級会で、タイガースの音楽が、精神、心臓に良くないというので話し合うことになり、今思うと、、世代、生きてきた時代の精神体質が随分と違っていたことを自覚させられる出来事だったのを振り返る。笑
ミス佐々木は、心臓がドキドキするから、冷静に自分を保ってられないから、失神騒動や非行に繋がるといい、グループ・サウンドは良くないと、主張。
他方、生徒側は、いつの時代の若者と変わらなく、単に古いというだけで片付けようとする。。

ちなみに、、ジュリー沢田研二さんや風吹ジュンさんって、この当時、高校生の先輩たちのお友達の同級生だったり、京阪の岡崎行きの路線電車や市電なんかで、通学時に見たそうで、
そんな大スターが、日常の街から現れるというのも京都らしさでもありました。
当時の京都は、大学紛争とともに、フォークソングの一大発信地で、NHK拒否、テレビ拒否をしてる時期で、同時に、アメリカのラジオ選曲の影響で、深夜ラジオで海外のpopsが流れていました。
これも?ひょっとすると?米軍の保護の元で、元々、同志社大で大学紛争のリーダー役として舵取りの立場に立った加藤登紀子さんが獄中結婚で救済の手を差し伸べた戦国時代で言う武将?今で言う政治家?が、東京の日大で大学紛争の拠点が変わっていたこと、、きっと?成田だか?東京に危機が迫っていたんだろうか?
表向きは米軍との戦いを呈してはいたものの、実態は違ったんだと思う。。
本当のテロ加害者は、米軍と戦うふりをして、追っ払わないと大変なこととなる、テロ社会の到来となるというので、おそらくあ。武将の立場では分かっていて、荒れ狂う若気の至りを鎮めたり、興したりする必要があったのではないか。
加藤登紀子さんのお母さんのロシア料理レストランにも三条京阪へ行く途中のビルにあって、
大人の同級生に連れてってもらったことがある。
ボルシチ、ウオッカなど、ロシア文学で出てくる料理名が、意外に素朴で家庭的なのに驚いた。
京都の映画村、立命の堂本印象さんたちのところもいい感じで、苔寺には引き寄せられるように友人とも出かけた。
大学にってからは、高2の時に自決した三島由紀夫さんの「金閣寺」の映画が学生会館でかかっていたり、、何と無く?病的な感じで、原本を読まずじまいでしたが、、というより、当時、フロイト心理学が大流行りで、夢から深層真理を引き出せるというのが、私にはどうしても屁理屈に思え、なんでもsexに起因を求める視点にこじ付けを感じ、退廃、サイケデリックが流行とされる中で反抗的でもありました。。
たった6年間にこれほどの急変があり、おそらく?人為的な要素なしには不可解な急変に思います。?
少し?この作品を見る背景が透けて来ましたら?これハトキーンさん、かなりの映画オタクですよね?
でも、、たんたんとしていて、熱っぽさがあまり感じられません?
そういう点でで、平成世代のようにも思えますが、、笑
大林監督の影響を受けた作品まで、解説してくれていて、
あれ?これ、どこかで同じような印象を受けたことがある?とくすぐったく思っていたところまで、書いて下すってる。。笑
心理士みたい。。。
でもね! 岸部一徳さん始め、この映画の妙味って、実はたんたんとしたフツーっぽさが狙いだったように思えるのです、大林監督のね!?
原作との印象が随分と違うけど、原作って、筒井氏って、ちょっと現実感がない人なのかな?と、
作品との間に距離感を感じさせてしまうように思うんだけど?
大林監督のすごいところって、本来、ぶきっちょな筒井氏の作品をおそらく?彼が本来、狙ってた身近な親近感の中で、時空間を超越、俯瞰させた視点の大切さをテーマにしたんじゃないのかな?って思うんだけど。。?
ハトキンさんには、やる気のない教師に見えたかもしれないけど、苦笑
でもね、昭和世代の大人って、こんな感じがフツーだったし、
冷静、深い洞察を持つ人が、こんな感じで、たんたんと真相や真実を見つめていた、
見逃さなかった、育んでいた、って感じだったよ。
平成、阪神大震災以降、吉本の台頭でか?イジョーに扇情的な言動の人たちの露出が目立った中で、この作品が、フラットに感じるのかも知れない?
ただ、、藤田まことさんはじめ、昭和の30年代にテレビで放映された日本映画って、
こういう感じでたんたんと日常的な空間、セリフの合間をきっちり静けさで綴っていて、
昨今のように絶えず、電子音や騒音に囲まれていない日常生活の穏やかさ、自然な背景音、雨音や風、雀の鳴き声で時間やお天気、セミで時間や温度などを感じさせ、
売り子の声で、暑くても昭和後期以降のような、アスファルトの砂漠系酷暑ではなく、風が通り、木造や土や木立や川で、光も熱も優しく吸収され反映されてる夏や、冬を思ったり。。
寒くって、しもやけが出来るほどだけど、息が白くなる温かさに生命力を感じさせられたり、、、

こういう感性で、私はこの映画が扱ってるテーマの敷衍した思考法というのにも関わらず、とっても親密に見ることができた。
なお、、岸部一徳さんは弟さんの方で、これはタイガースの最初からのメンバーの岸辺太郎さんのはず。。
途中から、ひょうきんでとぼけた弟さんの一徳さんがグループに参加したけど、
太郎さんって、グループの中で一番、冷静というか?グレーで言うと、タクローさんみたいな感じ。。容姿の美醜を超えた二枚目。
昭和の一般的な良識のある男性像です。。
さて、、海風に吹きつけられる海岸の崖で、植物採集をしてる深町に合う場面ですが、
私は、アルプスの少女ハイジのヤギを思い出しました。
おじいさんが、飼ってるヤギの中で、一番元気なヤギが難所に早春生える栄養を大地から吸った草を食べ、いいお乳を出し、それでクララの病弱の解消となります。。
大自然の環境と生命リズムで、心理的にも健康に戻って行きます。。
街で高いお薬を服用していても治らなかったのに、見事、歩けるようになるのです。
深町君がやって来た未来に近づきつつある平成ですが、、
抗生物質の問題、つまり感染症が異常に多発し、死に至っています。。
この抗生物質、抗菌剤って、そもそもは、太古の地球の歴史で、
菌の起源と並行して、生き抜いてきた大地や水の栄養を吸収して生えた草や麦などから成分を抽出、特定化して作り出されてきた歴史があるようです。。
阪神大震災以降、911以降のテロリズムと、まるで、生活感を感じられないどこから来た人たちなんだろう?民族なんだろう?って感じる新人類の大出現と感性や洞察力の不自然さに翻弄される【今】を、実は、筒井氏や大林氏は伝えようとしたもではないか?
大林監督のカッパと水の作品は、子供と一緒に夏休みに映画館でみましたが、、
実は、この作品は、新人類に、在来人類の古代からの継続性を感性で伝えようとした作品だったにではないか?って、今、振り返ります。
自然が創り出した生命と、人為的に作り出された生命と。。
野菜でも、汚染された土、水、空気でできるより、
工場内で人工的に栽培された野菜の方が安全で、良いという思考法でサプリの流行があるが、
これはS46に日本女子栄養大学の成分表で、トマトの栄養価が急に変更があったと、家庭科の児玉先生が終業の鐘がなった時に、急いで付け加えられた。それが、先生の最期の授業、言葉となった。。B型劇症肝炎で京大病院で亡くなられた。
トマトの水栽培、工場栽培で、太陽光に当たらないため、ヴィタミンCが激減したということを話す先生の声が、鐘と合わさって、初めてで、先生の声を上げられるのを聞いた。。
きっと、どうしても、伝えなくては、と思い立たれた?今度の授業では間に合わないと思われたのか?いつも冷静で完全主義の先生が、声を高くして音が終わる前に話されるということは無かったし、生徒の信頼や尊敬も集めてらしたので、鐘が終わってから話されるのが、先生らしかったはずですのに。。
児玉先生が、ミス・デントンの実際の教え子でいらしたミス・佐々木を同志社女子中の英語教師として支えられ、ミス・佐々木に中1の担任を受け持ってもらった学級会で、タイガースの音楽が、精神、心臓に良くないというので話し合うことになり、今思うと、、世代、生きてきた時代の精神体質が随分と違っていたことを自覚させられる出来事だったのを振り返る。笑
ミス佐々木は、心臓がドキドキするから、冷静に自分を保ってられないから、失神騒動や非行に繋がるといい、グループ・サウンドは良くないと、主張。
他方、生徒側は、いつの時代の若者と変わらなく、単に古いというだけで片付けようとする。。

ちなみに、、ジュリー沢田研二さんや風吹ジュンさんって、この当時、高校生の先輩たちのお友達の同級生だったり、京阪の岡崎行きの路線電車や市電なんかで、通学時に見たそうで、
そんな大スターが、日常の街から現れるというのも京都らしさでもありました。
当時の京都は、大学紛争とともに、フォークソングの一大発信地で、NHK拒否、テレビ拒否をしてる時期で、同時に、アメリカのラジオ選曲の影響で、深夜ラジオで海外のpopsが流れていました。
これも?ひょっとすると?米軍の保護の元で、元々、同志社大で大学紛争のリーダー役として舵取りの立場に立った加藤登紀子さんが獄中結婚で救済の手を差し伸べた戦国時代で言う武将?今で言う政治家?が、東京の日大で大学紛争の拠点が変わっていたこと、、きっと?成田だか?東京に危機が迫っていたんだろうか?
表向きは米軍との戦いを呈してはいたものの、実態は違ったんだと思う。。
本当のテロ加害者は、米軍と戦うふりをして、追っ払わないと大変なこととなる、テロ社会の到来となるというので、おそらくあ。武将の立場では分かっていて、荒れ狂う若気の至りを鎮めたり、興したりする必要があったのではないか。
加藤登紀子さんのお母さんのロシア料理レストランにも三条京阪へ行く途中のビルにあって、
大人の同級生に連れてってもらったことがある。
ボルシチ、ウオッカなど、ロシア文学で出てくる料理名が、意外に素朴で家庭的なのに驚いた。
京都の映画村、


ハトキーンさん、かなりの映画オタクですよね?
でも、、たんたんとしていて、熱っぽさがあまり感じられません?
そういう点でで、平成世代のようにも思えますが、、笑
大林監督の影響を受けた作品まで、解説してくれていて、
あれ?これ、どこかで同じような印象を受けたことがある?とくすぐったく思っていたところまで、書いて下すってる。。笑
心理士みたい。。。
でもね! 岸部一徳さん始め、この映画の妙味って、実はたんたんとしたフツーっぽさが狙いだったように思えるのです、大林監督のね!?
原作との印象が随分と違うけど、原作って、筒井氏って、ちょっと現実感がない人なのかな?と、
作品との間に距離感を感じさせてしまうように思うんだけど?
大林監督のすごいところって、本来、ぶきっちょな筒井氏の作品をおそらく?彼が本来、狙ってた身近な親近感の中で、時空間を超越、俯瞰させた視点の大切さをテーマにしたんじゃないのかな?って思うんだけど。。?
ハトキンさんには、やる気のない教師に見えたかもしれないけど、苦笑
でもね、昭和世代の大人って、こんな感じがフツーだったし、
冷静、深い洞察を持つ人が、こんな感じで、たんたんと真相や真実を見つめていた、
見逃さなかった、育んでいた、って感じだったよ。
平成、阪神大震災以降、吉本の台頭でか?イジョーに扇情的な言動の人たちの露出が目立った中で、この作品が、フラットに感じるのかも知れない?
ただ、、藤田まことさんはじめ、昭和の30年代にテレビで放映された日本映画って、
こういう感じでたんたんと日常的な空間、セリフの合間をきっちり静けさで綴っていて、
昨今のように絶えず、電子音や騒音に囲まれていない日常生活の穏やかさ、自然な背景音、雨音や風、雀の鳴き声で時間やお天気、セミで時間や温度などを感じさせ、
売り子の声で、暑くても昭和後期以降のような、アスファルトの砂漠系酷暑ではなく、風が通り、木造や土や木立や川で、光も熱も優しく吸収され反映されてる夏や、冬を思ったり。。
寒くって、しもやけが出来るほどだけど、息が白くなる温かさに生命力を感じさせられたり、、、

こういう感性で、私はこの映画が扱ってるテーマの敷衍した思考法というのにも関わらず、とっても親密に見ることができた。
なお、、岸部一徳さんは弟さんの方で、これはタイガースの最初からのメンバーの岸辺太郎さんのはず。。
途中から、ひょうきんでとぼけた弟さんの一徳さんがグループに参加したけど、
太郎さんって、グループの中で一番、冷静というか?グレーで言うと、タクローさんみたいな感じ。。容姿の美醜を超えた二枚目。
昭和の一般的な良識のある男性像です。。
さて、、海風に吹きつけられる海岸の崖で、植物採集をしてる深町に合う場面ですが、
私は、アルプスの少女ハイジのヤギを思い出しました。
おじいさんが、飼ってるヤギの中で、一番元気なヤギが難所に早春生える栄養を大地から吸った草を食べ、いいお乳を出し、それでクララの病弱の解消となります。。
大自然の環境と生命リズムで、心理的にも健康に戻って行きます。。
街で高いお薬を服用していても治らなかったのに、見事、歩けるようになるのです。
深町君がやって来た未来に近づきつつある平成ですが、、
抗生物質の問題、つまり感染症が異常に多発し、死に至っています。。
この抗生物質、抗菌剤って、そもそもは、太古の地球の歴史で、
菌の起源と並行して、生き抜いてきた大地や水の栄養を吸収して生えた草や麦などから成分を抽出、特定化して作り出されてきた歴史があるようです。。
阪神大震災以降、911以降のテロリズムと、まるで、生活感を感じられないどこから来た人たちなんだろう?民族なんだろう?って感じる新人類の大出現と感性や洞察力の不自然さに翻弄される【今】を、実は、筒井氏や大林氏は伝えようとしたもではないか?
大林監督のカッパと水の作品は、子供と一緒に夏休みに映画館でみましたが、、
実は、この作品は、新人類に、在来人類の古代からの継続性を感性で伝えようとした作品だったにではないか?って、今、振り返ります。
自然が創り出した生命と、人為的に作り出された生命と。。
野菜でも、汚染された土、水、空気でできるより、
工場内で人工的に栽培された野菜の方が安全で、良いという思考法でサプリの流行があるが、
これはS46に日本女子栄養大学の成分表で、トマトの栄養価が急に変更があったと、家庭科の児玉先生が終業の鐘がなった時に、急いで付け加えられた。それが、先生の最期の授業、言葉となった。。B型劇症肝炎で京大病院で亡くなられた。
トマトの水栽培、工場栽培で、太陽光に当たらないため、ヴィタミンCが激減したということを話す先生の声が、鐘と合わさって、初めてで、先生の声を上げられるのを聞いた。。
きっと、どうしても、伝えなくては、と思い立たれた?今度の授業では間に合わないと思われたのか?いつも冷静で完全主義の先生が、声を高くして音が終わる前に話されるということは無かったし、生徒の信頼や尊敬も集めてらしたので、鐘が終わってから話されるのが、先生らしかったはずですのに。。
児玉先生が、ミス・デントンの実際の教え子でいらしたミス・佐々木を同志社女子中の英語教師として支えられ、ミス・佐々木に中1の担任を受け持ってもらった学級会で、タイガースの音楽が、精神、心臓に良くないというので話し合うことになり、今思うと、、世代、生きてきた時代の精神体質が随分と違っていたことを自覚させられる出来事だったのを振り返る。笑
ミス佐々木は、心臓がドキドキするから、冷静に自分を保ってられないから、失神騒動や非行に繋がるといい、グループ・サウンドは良くないと、主張。
他方、生徒側は、いつの時代の若者と変わらなく、単に古いというだけで片付けようとする。。

ちなみに、、ジュリー沢田研二さんや風吹ジュンさんって、この当時、高校生の先輩たちのお友達の同級生だったり、京阪の岡崎行きの路線電車や市電なんかで、通学時に見たそうで、
そんな大スターが、日常の街から現れるというのも京都らしさでもありました。
当時の京都は、大学紛争とともに、フォークソングの一大発信地で、NHK拒否、テレビ拒否をしてる時期で、同時に、アメリカのラジオ選曲の影響で、深夜ラジオで海外のpopsが流れていました。
これも?ひょっとすると?米軍の保護の元で、元々、同志社大で大学紛争のリーダー役として舵取りの立場に立った加藤登紀子さんが獄中結婚で救済の手を差し伸べた戦国時代で言う武将?今で言う政治家?が、東京の日大で大学紛争の拠点が変わっていたこと、、きっと?成田だか?東京に危機が迫っていたんだろうか?
表向きは米軍との戦いを呈してはいたものの、実態は違ったんだと思う。。
本当のテロ加害者は、米軍と戦うふりをして、追っ払わないと大変なこととなる、テロ社会の到来となるというので、おそらくあ。武将の立場では分かっていて、荒れ狂う若気の至りを鎮めたり、興したりする必要があったのではないか。
加藤登紀子さんのお母さんのロシア料理レストランにも三条京阪へ行く途中のビルにあって、
大人の同級生に連れてってもらったことがある。
ボルシチ、ウオッカなど、ロシア文学で出てくる料理名が、意外に素朴で家庭的なのに驚いた。
京都の映画村、立命、法王庁にも作品を贈られた堂本印象さんたち、銀閣寺は寂れ、高2の時に自決した三島の「金閣寺」映画が大学になって学生会館でかかっていたが、当時のフロイトブームで何でも夢から真相心理をsexに繋げて説明するのに反発を感じ、この作品にも同じ反発を感じ、結局、原作を読む気もなくなってしまってる。
この当時、すでに押し付け戦略が始まっていたようにも思える?。。
たった6、7年間でのこの急変ぶりは、人為的でなければ不自然なもので、
この時代を生きていたからこそ、アレ?おかし過ぎる!という実感をいつも抱えていたのですが、
これほど映画に観察眼がある貴方ですから、これらの時代背景を読み取って、さらに幅広い人たちの憩いの場を作っていただけたならと思い、書き込みました。

訂正
「堂本印象さんたち、銀閣寺は」は、
堂本印象さんたちのところが話題を集め、一方、銀閣寺は寂れ、、、、です。

takokuroさん、コメントありがとうございます。

で、私のハンドルネームはハトキンでもハトキーンでもないんですが・・・。
それはともかく筒井康隆原作時の1967年、大林宣彦監督作品の1983年、それぞれ時代背景も興味深いものです。ここを深読みしていたらきりがないというのもあって、私は映画と現実の関係は考えないようにしてます。

長文はご苦労様です。しかし何故か繰り返しになっています。
何だか『時をかける少女』(1983年)と同じです。

深町くんは現在の若い年代そのものという見方も興味深い。
現実の若い人達は深町くんほどは浮世離れはしていないけど。かなり近いような気がします。

映画と現実についてですが嫌でも考えなければいけないのはよくわかってます。ぼちぼちやっていきたいと思ってます。

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