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2007.11.27

『ミッシング』(1982年)

この作品はコンスタンティン・コスタ=ガブラス監督、ジャック・レモン、シシー・スペイセク主演の政治サスペンス・ドラマのようです。
なおこの文はネタバレ全開となっています。

1982年 ポリグラム/ユニバーサル・ピクチャーズ アメリカ作品
ランニング・タイム◆122分
原題◆Missing
プロット◆息子を捜しに行く話しのようです。そして世代ギャップを克服する話でもあるようです。
音楽◆ヴァンゲリス これはよいスコアでした。才能のある人は違う。

キャスト
ジャック・レモン→チャーリーの父エド・ホーマン
シシー・スペイセク→チャーリーの奥さんベス
ジョン・シェア→ミッシングとなったチャーリー

この作品はコンスタンティン・コスタ=ガブラス監督作品でTV東京で放映されてるの途中から終わりまで見てしまったので、録画したあったのをまた最初から見直しました。

コンスタンティン・コスタ=ガブラス監督の演出はよいと思います。
製作総指揮がソニーから大金をふんだくって悪名が高いピーター・グーバーとジョン・ピータースです。これにはビックリ。でも、この作品はとてもよい出来なので多分この2人は余計な口出しをせず何もしなかったのでしょう。

スカイパーフェクTV312CSN1ムービーチャンネルにて。画質は悪い。

1973年のチリが舞台です。
政情不安なのでクルマのドアをいちいちロックしてました。
シシー・スペイセク扮するチャーリーの奥さんベスは銃声がするたびに驚いてしまう。これはリアルな感じがします。
ある日偶然一晩帰宅出来なかったからベスは連行されて死体とならずに済んだようです。運が良かったというわけです。

1973年のチリで焚書をやってました。大昔かSFでしかとやらないと思ってましたがそうでもないようです。まあ2007年現在の日本国内のTV新聞等のマスコミの状態を見れば現実は映画よりぶっ飛んでいるとなりますが。

どこか場所は忘れたけど壁にニクソンの写真が飾られていました。→アメリカ大使館内かも?
1973年のチリ、ピノチェト軍事独裁政権の時のことで殺された人は実名が使われていたようです。

威嚇射撃等を見て・・・
銃を上に向けて撃つのはとても危険なことなそうです。
撃たれた弾丸は必ず落下してくるからです。そんな弾丸でも充分殺傷力があるそうです。ニュースで戦争に勝ったと喜んで銃を上に向けて撃つ映像がありますが、撃った本人のとこには落ちてこないのが何とも理不尽です。

この作品でのヘリコプターは何の象徴なのでしょうか。
ベトナム戦争時に使用されていたベルUH-1ヘリコプターの爆音がすると何故か緊張感を感じます。こういう描写を見るとヘリコプターは映画向きな乗物だと思うのです。

26分頃からジャック・レモンが登場。
何だかケビン・スペイシーみたいに見えました。今は亡きパンナムの飛行機でチリへと向かいます。息子の失踪から2週間経ってから来たことになっています。

息子が死んでしまったら息子の嫁と父は他人になってしまうのか。何か不思議な感じします。

結末を知って見てたので息子の嫁と父の2人がスタジアムで、どこかに隠れているはずの息子に向かって出て来て欲しいと呼びかけていた時点で、実は捜していた息子は殺されていて既にそのスタジアムの壁の中に埋め込まれてとわかってました。そんなわけで別な意味で感慨がありました。

描写バランスで・・・
登場キャラのプライベートなことを前面に押し出したのがよかったように思えました。あまり政治的なことばかりだと鬱陶しい場合があるものでそう思った。

ラストで父の「アメリカの正義云々・・」のセリフは取ってつけたようで何か不自然な感じがしました。ここだけはプロデューサーから口出しをされたのかな?

ジャック・レモンといったら『チャイナ・シンドローム』(1979年)でシリアスに熱演してたのが印象に残っています。それまではコメディ専門と思っていたのでなおさら印象的でした。
そんなわけで私的には『チャイナ・シンドローム』(1979年)以降のジャック・レモンの方がいいと思っています。

そんなわけでこれは力作です。政治的メッセージよりも嫁と義父の関係の描写がいい見ごたえのある作品でした。


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コメント

1980年代の洋画の中でも、特に好きな1本「ミッシング」を紹介されていましたので、コメントしたいと思います。

この映画「ミッシング」は、国家に翻弄される人間の尊厳を賭けた、孤独な叫びを描いた社会派映画の秀作だと思います。

1982年のアメリカ映画「ミッシング」は、ギリシャの政治家ランブリスキ暗殺事件を描いた「Z」、チェコの"スランスキー事件"の恐るべき実態に迫り、スターリニズムの内幕を暴いた「告白」、ウルグアイでのアメリカ人暗殺事件を描いた「戒厳令」のイヴ・モンタン主演の"政治三部作"を撮ったギリシャ出身の政治色の強い社会派映画の俊英コンスタンティン・コスタ=ガブラス監督の作品で、彼がアメリカ映画界で初めて撮った映画ですね。

この映画は、1982年の第55回アカデミー賞の最優秀脚色賞を受賞し、同年の英国アカデミー賞の最優秀脚本賞、最優秀編集賞を受賞し、また第35回カンヌ国際映画祭で最高賞のグランプリ(現在のパルムドール賞)と、ジャック・レモンが最優秀主演男優賞を受賞しています。

監督のコンスタンティン・コスタ=ガブラスは、この映画の製作意図について、「この物語で最も素晴らしいのは、この国がいかに自己を批判する能力を持ち合わせているかを示している点だ。これはアメリカ人が作った。それもラディカルな人たちではない、相当保守的な人たちだ。彼らがこの映画の後ろ盾なのだ。このこと自体、アメリカという国の民主主義と自由主義の最大の証拠だ。」と語っています。

映画は、1973年9月のチリの人民連合のアジェンデ政権が、軍事クーデターで崩壊した時に、ひとりのアメリカ青年が突然、失踪します。
政治的な理由で逮捕されたのか、あるいは何かの事件に巻き込まれて殺害されたのか?

このチリのクーデターを描いた映画として、1975年の「サンチャゴに雨が降る」(エルビオ・ソトー監督)がありましたが、この映画はアジェンデ大統領と民衆の抵抗をアジェンデ側から描いていました。

当時のチリのアジェンデ政権は、国民の民主的な選挙によって成立した初めての社会主義政権でしたが、アメリカのCIAは、選挙に関与し、影響を与えようとしますが失敗し、遂に軍部による軍事クーデターに直接介入するという手段をとり、クーデターを成就させます。

背景は全く同じですが、「ミッシング」はクーデターに巻き込まれたアメリカ人を描くことで、アメリカの国家的な政治的陰謀を告発する内容になっています。

アメリカ人青年のチャールズ・ホーマン(ジョン・シェア)と妻のベス(シシー・スペイセク)は、南米のある都市で暮らしています。
もちろんチリのサンチャゴですが、映画では特定していません。
チャールズは、そこで小説を書いたり翻訳をしたり、近所の子供たちに絵を教えたりしていました。

ところが、軍事クーデターが起こった後、チャールズが突然、失踪し、姿が見えなくなります。
この物語の前半のハイライトともいえる、戦車が出動し、外出者は無差別に銃殺される、クーデターの生々しい緊迫感が、ヒリヒリするようなタッチで迫力満点の映像で描かれていきます。
コンスタンティン・コスタ=ガブラス監督の緊迫したドキュメンタリータッチの演出が冴え渡ります。

やがて、チャールズの父親のエドワード(ジャック・レモン)が、息子の失踪の知らせを受け、ニューヨークからやって来ます。
エドワードとベスは、チャールズの行方を捜すべく、アメリカ大使館へ行きますが、"息子さんは潜伏しているのではないか"という返事しか返ってきません。

これには何か秘密があるに違いないと感じた二人は、病院や政治犯が収容されたスタジアムへ行き、目撃者の話を聞いていくうちに、失踪の真相を次第に知っていきます。

クーデターの内情を知りすぎたチャールズは、アメリカ大使館の了解、あるいは画策のもと、軍事政権によって抹殺されたと思われます。

行方を捜すという、ひとつの目的でエドワードとベスは、行動を共にしているだけで、最初、この二人は全く気持ちが繋がっていませんでした。

しかし、困難な調査を共に続けていくうちに、"互いに深まっていく世代を超えた共感と和解"のプロセスを、コンスタンティン・コスタ=ガブラス監督は、丹念に情感を込めて描いていて、この映画を"奥行きのある見事な人間ドラマ"に仕立てていると思います。

クーデターの背後にある不気味なアメリカの影。
巨大な政治的な陰謀。人民のためという正義の名を借りたファシズムの実態。
人間のエゴイズム。
二人の目の前に"現代の厳しい現実"が次々と立ち塞がって来ます。

特に、虚しい捜索を続ける中、サッカー・スタジアムに無造作に山積みされた死体の山を見た時、クーデターの悲惨さを垣間見たエドワードの心境に変化が訪れます。

当初、エドワードは、息子や息子の嫁をあまり良く思っていませんでした。
彼には実業家としての地位や財力もあり、アメリカ政府を信じる一般の常識的な国民でした。

しかし、必死になって夫を探すベスと接することによって、本当の息子の真の姿を知るようになります。
それと同時に、"国家の利益"を名目に、息子を抹殺した"国家権力"への激しい怒りを爆発させていくことになります。

監督のコンスタンティン・コスタ=ガブラスの"国家権力とは何のためのものなのか。
果たして国民ひとりひとりを守るための存在なのか。
いや、国家そのもののための権力の行使ではないのか"という、激しい怒りにも似た厳しいメッセージが伝わってくるようです。

エドワードを演じた名優ジャック・レモンの、体の奥底からほとばしり出るような、魂を揺さぶる演技には唸らされます。

「息子の生死だけでも知りたい!」と全身全霊を込めて、ふりしぼるように言うジャック・レモンの目に、いつの間にか涙がじっとたまっています。
カンヌ国際映画祭で絶賛された、彼の演技を通り越した、生の人間の悲痛な心の叫びがひしひしと伝わって来ます。

共演のシシー・スペイセクも、義父のエドワードにそっと寄り添う演技で、静かな中にも、心の内側には激しい怒りと哀しみを秘めた、ひとりの女性の表情を見事に表現しています。

そして、エドワードが映画のラストシーンで、空港に送りに来た、アメリカ大使館員に対して、「アメリカは君たちを許しておくほど甘くはないぞ」と告訴する意思を告げたのに対して、アメリカ領事が「それはあなたの自由(free)です」と答えるのを強く制して、「いや、それは私の権利(right)なのだ」ときっぱりと言うシーンは、アメリカの良心を示していて、このシーンにこそコンスタンテイン・コスタ=ガブラス監督の最も伝えたかったテーマがあるのだと感じました。

この映画が、ニューヨークで公開される直前に、まともに糾弾された形のアメリカ国務省は、この映画の内容は、事実無根であるとして長文の声明文を発表したそうです。

これに対して、コンスタンテイン・コスタ=ガブラス監督は、「ここに描かれていることはフィクションではない」と正式に反論し、また、弁護士であり、この映画の原作の作者でもあるトマス・ハウザーは、そのあとがきの中で、「私はチャールズ・ホーマンの死をめぐる事件の、公平かつ正確な再構成であると確信している」と書いています。

陽炎さん、長文のコメントをありがとうございます。

殺された息子の父親ジャック・レモンと息子の嫁シシー・スペイセクは実の親子ではない。しかし一緒に行動しているうちに互いに分かり合える感じなのが非常にいいと思いました。

手短な返事になりますがご了承ください。

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