『大自然の凱歌』(1936年)
この作品はサミュエル・ゴールドウィン製作、ハワード・ホークス監督からウィリアム・ワイラー監督に交代した演出で、フランシス・ファーマー主演の開拓物大河ドラマです。
なおこの文はネタバレ全開となっています。
1936年 サミュエル・ゴールドウィン・プロ アメリカ作品
原題◆Come and Get It
プロット 昔別れた恋人の娘に惚れてしまう話しのようです。
スカイパーフェクTV311パワー・ムービーにて。画質は結構よい。
キャスト
フランシス・ファーマー→ロタ・モーガンとロタ・ボストロムの母子2役
エドワード・アーノルド→林業での成功者バーニー・グラスゴー
ウォルター・ブレナン→バーニー・グラスゴーの親友スワン・ボストロム
ジョエル・マクリー→バーニー・グラスゴーの息子
ハワード・ホークス監督とウィリアム・ワイラー監督の演出はよいと思います。
ちゃんと監督2人はクレジットされています。
当時からこの名があったのかは知りませんが監督が編集権を放棄したとき使われる名のアラン・スミシーではありません。これは良心的というのか?
製作サミュエル・ゴールドウィンです。この人の名がタイトルクレジットの最期に出ていました。その前にハワード・ホークスとウィリアム・ワイラーが2人まとめて出ているのでこの作品で1番偉いのが誰なのか嫌でもわからせてるタイトルでした。
監督が豪華2本立てなのでそれに合わせて撮影もグレッグ・トーランドとルドルフ・マテの豪華2本立てになっていました。
本『ハワード・ホークス映画祭』によると大半はサミュエル・ゴールドウィン不在時のハワード・ホークス監督が担当していましたがもう少しのとこで復帰してきたサミュエル・ゴールドウィンに指示通りではなく勝手に撮っていたのを見つかったホークス監督は首にされ最後だけウィリアム・ワイラー監督が担当とのことでした。そんなつもりで見ますと色々と面白い。
酒場には何がある?ということで酒場にある丸いお盆を投げて乱闘していました。この辺は間違いなくハワード・ホークス監督担当でしょう。
数人で歌うシーンがありました。ここはホークス監督の『リオブラボー』(59年)みたい。
ラストシーンあたりはワイラー監督の『偽りの花園』(41年)みたい。
そんな感じで突然切り換わったという感じはしませんでしたがエドワード・アーノルドが娘の方のフランシス・ファーマーに本音を漏らすあたりからウィリアム・ワイラー監督調のような感じでした。
この前にジョエル・マクリーと娘の方のフランシス・ファーマーが2人で飴を作るのに失敗するシーンがありましたがここもホークスっぽいけどワイラーのような感じもします。判断の難しいとこです。
そんなこんなで製作者にとって演出のことなんて関係ないという考えなのがよく分かります。
1884年に始まり、溶暗から時代が飛んで1907年となります。
ウエスタンではなくて開拓物?ですか。全体的には最初は材木伐りだしスペクタクルで次は酒場で乱闘ロマンス物になって最期は大メロドラマとなっていました。
材木伐りだしシーンは雪を被ったままの大木が倒れるシーン。丸太にしたのを河に流すシーン。積んだ丸太を爆破して崩すシーン等。ダイナミックでした。
フランシス・ファーマーは歌は吹き替えのようでした。ホントに歌っているほうが珍しいですか。普段はハスキーな喋り声です。
実生活では悲惨な運命となったフランシス・ファーマーなので、どんな人かなと予想してたよりは違って、とても気が狂いそうにないタイプです。
神経症的なゲイル・ラッセルのようなタイプかと思っていましたから意外でした。奇行を繰り返すショーン・ヤングみたいな感じなのか?それならショーン・ヤングはロボトミーにされないで幸運でしたね。ロボトミー手術といえば『猿の惑星』ではゾッとしたものです。衝撃のラストシーンよりこの方が凄かったものです。
母のロタ・モーガンから娘のロタ・ボストロムとなります。ソックリです。本人が演じているのですから似てるのは当たり前ですか。
母は切符のいい酒場の歌姫で娘はこんな田舎にはいられない野心満々な人と描写されていました。
ヒロインが親子で2役の設定は画期的でこれは初めてのアイデアと思ってしまいそうですが実は結構ある設定だったりします。私がこの設定を初めて見た作品は川島雄三監督の『わが町』(56年)での南田洋子でした、これは素晴らしい設定だ“南田洋子は二度生まれる”ではないかと感心したものです。
ホークス監督担当だと思える娘のロタ・ボストロムが目隠しをしてタイプを打つ文字通りブラインド・タッチの特訓シーンがありましたが監督が変わった影響かこれが伏線にはなっていなかった。アイデア倒れの珍しいケースのようです。
エドワード・アーノルドは酒場の乱闘の時はコマ落としでアクションしていました。これには随分助けられていました。
ウォルター・ブレナン扮する主人公グラスゴーの親友スワンはスウェーデン人ということでした。よく分からん設定です。ブレナンは若いのか老けているのかよく分からない人でここでは性格のよいリー・バン・クリーフといった感じに見えました。。
ジョエル・マクリーは何となくハリソン・フォードに似ていると思えてしまいます。これは逆ですか。ダンゴ鼻と低い声がそんな感じでした。キャリアからするとハリソン・フォードはジョエル・マクリーに全く及びません。
そんなわけで結果的に有名監督2人のリレー演出というのが興味深い作品でした。悪くはないのが妙な感じです。
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拝啓。この映画のタイトル「COME AND GET IT」が、なんで邦題では「大自然の凱歌」になっているんでしょうね。
前半の森林伐採の雄大なシーンを見ると、そうとも言えますが、後半の愛憎劇にはふさわしくありません。苦肉の題ともいえますが、「愛の凱歌」でもよかったようにも思います。
何かご意見がありましたら、ご教示ください。
投稿: マキコ・ヨシマル | 2021.10.25 21:42
マキコ・ヨシマルさん、コメントありがとうございます。
原題『Come and Get It』の直訳『手に入れに来てください』では何だかわからんとなるのでそれっぽく付けたのだと思われます。日本の配給会社は今も昔もセンスはそれなりなのでこんなものかと言った感じです。
随分前に見たのでもう覚えているのはご指摘の通り木材が伐採して川に流すスペクタクルシーンとお盆を投げるシーンぐらいです。こまったものです。
監督がハワード・ホークスとウィリアム・ワイラーなので出来はよく何となく見れてしまいます。映画って面白いものです。
投稿: ロイ・フェイス | 2021.10.28 10:22
ありがとうございます。
それにしても、ヒロインを演じたフランシス・ファーマーの美しいこと。このあと悲劇的な運命に襲われるのですが、なんとかそれを乗り切ったそうで安心しました。
彼女をモデルにした「女優フランシス」という映画あるそうですね。
投稿: マキコ・ヨシマル | 2021.10.28 13:55