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2005.09.07

『現金に体を張れ』

この作品はスタンリー・キューブリック監督、スターリング・ヘイドン主演のフィルム・ノワールです。
なおこの文はネタバレ全開となっています。

1956年 ハリス・キューブリック・プロ アメリカ作品
ランニング・タイム◆83分
原題◆The Killing
プロット◆現金強奪に失敗する話しのようです。
音楽◆ジェラルド・フリード
20世紀フォックス発売のDVDにて。画質は非常によいです。

キャスト
スターリング・ヘイドン→ムショ帰りのジョニー
コリーン・グレイ→ジョニーの恋人フェイ
J・C・フリッペン→スポンサーのマービン
テッド・デコシア→警官のランディー
エリッシャ・クックJr.→競馬窓口のジョージ
ジョー・ソイヤー→バーテンのマイク
コーラ・クワリアニ→プロレスラーのモーリス
ティモシー・キャレイ→狙撃屋のニッキー
マリー・ウィンザー→ジョージの悪妻シェリー
ビンス・エドワース→シェリーの若いつばめバル
ジョー・ターケル→バルの相棒ティニー
ジェイ・アドラー→借金取りのレオ
ティト・ビュオロ→モーテルのジョー
ジェームズ・グリフィス→空港の上司グライムズ

スタンリー・キューブリック監督の演出はよいと思います。
木曜日から土曜日の話しのようです。ところでどこの街が舞台?
モノローグで話しは進行しますがどうやら主演のスターリング・ヘイドンのモノローグのようでした。違うかな?回想となっている感じです。
モノクロの絵はきれいでよいです。カメラはサム・ペキンパー作品でおなじみなルシエン・バラードでした。でもペキンパー作品はカラーばかりでした。

時間の進行はいったりきたりと忙しいものです。それでも途中までは普通に進行しているようです。
競馬場襲撃のとこから1人1人の行動が繰り返されるようになっています。きれいにわかれているわけではないようです。
ダグ・リーマン監督でサラ・ポーリーとケイティ・ホームズがヒロインのクライム・コメディ『go』(1999年)の感想で時間のコントロールに関してこの作品からの引用と思ったけど、『現金に体を張れ』は『go』ほどきれいに分けてなくてあまり似ていなかったりします。基本的なアイデアは同じとしましょう。

セットの壁を通り抜けるカメラ。キューブリック監督もこのようなショットを撮っていたんだ。ブライアン・デ・パルマ監督かと思ってしまった。
溶暗が効果的に使われていました。
競馬のシーンはライブフィルムの流用もあるでしょう。巨匠になってからのキューブリック監督では考えられないことです。
狙撃のシーンではスクリーンプロセスを使用。初期作品ではこういうこともやっていたのですね。完璧主義のキューブリック監督は悔いが残ったでしょう。

音楽は前半の計画の時はジャズ風で計画が進行中になったら映画音楽のスタンダードなスコアになってました。それでもタイトル直後の出だしのとこなんか音楽センスのよさを感じさせます。シンクロ具合が結構なのです。
全体的に音楽はがんばって盛り上げていました。キューブリックは何でこの線でいかなかったのか不思議です。音楽というか音楽担当の人が前面に出るのが嫌だったのかな。クラシックなら作曲者はすでに死んでいるからいくら有名でも別にかまわないとなる?著作権も切れているし。

仲間の1人のジョージから簡単に計画が漏れてしまいます。木曜日に5人で打ち合わせ中に悪妻シェリーが忍び込んできます。ジョニーとシェリーは知り合いのようです。
火曜日に戻ってチェスクラブでプロレスラーと打ち合わせ。その後には狙撃屋と打ち合わせとなります。この手のことは全部口約束のようです。信用保証はどうやっているのか?プロとして信用するしかないのか。
モーテルを借りるジョニー。ところでこの競馬場襲撃強盗団でプロは実行担当のジョニーだけで後の4人は素人です。警官は素人ではない?

あれだけ綿密な計画にしては詰めが甘かったと言わざるにおえません。
大切なトランクが欠陥ロックに航空機の機内手荷物サイズオーバーとはこまったもんです。どうしてそうなるの?と言いたくなってしまいます。
まあこれはハリウッドコードで犯罪が成功する訳がないのだから失敗する描写が腕の見せ所になるからまあしょうがないのかな?→トランクの件は計画外のことで緊急に買ったの物なのでしょうがないとなるようです。これが妥協の由縁です。

ハイライトの札束が舞うシーンの前に旅客機のプロペラ(当時はまだジェットではない。)のクローズアップショットがありその後札束が舞い、なるほどプロペラはこの為にあるのかと妙に納得したりします。→見る前は空港に札束が舞うことはおぼろげに知っていましたが。その描写は意外はアッサリしていました。

この作品のもう1つの売りはラストシーンです。空港に散った札束の持ち主として捕まるのを暗示させるとこでエンドのタイトルの文字。
ガードマン2人がドアを開けて来るシンメトリーな構図に音楽にシンクロしてエンドの字幕が出るタイミングのよさ。僅かに遅れて製作クレジットが出てくるのもよい。このへんのキューブリック監督の映像センスはホントによいと思います。


キャストで・・・
スターリング・ヘイドン本人はジョセフ・コットンと同じ人のよい性格と思われます。これはハリウッドには向いていない性格のようです。
こわもてタイプを熱演してますが何か弱気を感じさせるとこがそう見えます。ラストのとこで「これまで」と観念してしまい、逆にか弱いだけだったヒロインに逃げるように言われてしまうくらいでした。それであのラストになるというわけです。ホントによいラストシーンです。

エリッシャ・クックJr.扮するキャラはヒドイ言われようで身につまされたりする。それでも結局死ぬけど最後の生き残りになったりして奮闘してました。クックは『マルタの鷹』(1941年)の年少な殺し屋から『三つ数えろ』(1946年)の背の高い情婦の分不相応な亭主と続いているキャラに思えたりする。『三つ数えろ』では死んでいるから続いている訳ではないんだけどそんな感じがしました。特に『三つ数えろ』で死ななければ荷が重い情婦の図がピタリなのです。

このカネを山分けするのに集合するアパートでの撃ち合いの処理は風変わりな描写でした。一瞬でケリがつき後は動かぬ死体達のショット。これはよいです。で、この死体達のショットは押井守監督が『紅い眼鏡』(1987年)に引用してました。
クックの悪妻の描写は中々強烈でした。このキャラは凄い。

狙撃手のキャラも興味深いものでした。戦争上がり負傷して不自由な体になってる屈折したキャラクター。当時はこのような人達が多かったのかもしれません。

陽動のバーでケンカ騒ぎをおこす男はどうみてもモノホンのプロレス上がりです。ナチュラルに立派な体格だけど歳と不摂生で体形がゆるんでいるのがオールドタイプのプロレスラーをよく表しています。

モーテルのシーンにて、バックにバイクのトライアンフの看板が見えたりしました。この当時はまだアメリカで売っていたようです。ジャパニーズスタンダードと呼ばれる並列4気筒エンジンの日本製バイクに駆逐されてしまった英国のメーカーでした。また復活しているのかな。

この当時自分を売り出したいキューブリック監督はこのプロットで売れると判断したわけでしょう。当時はフィルム・ノワールが流行っていたというか、もうフィルム・ノワール物は末期のはずでした。
売れるといえば現在なら量だけのアクション物とか何でもいいからとにかくサスペンス物とかになるのかもしれません。

そんなわけで見ててやたらは緊張感があります。これは傑作です。



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