『そして誰もいなくなった』(1945年)
この作品はルネ・クレール監督の得意の作風ではない畑違いのミステリーということで見ました。
なおこの文はネタバレ全開となっています。
1945年 20世紀フォックス アメリカ作品
ランニング・タイム◆98分
原題◆And Then There Were None
プロット◆理想的殺人を実行する話しのようです。
音楽◆チャールズ・プレビン
スカイパーフェクTV310衛星劇場にて。画質はそれなりに悪い。
キャスト
バリー・フィッツジェラルド→判事
ウォルター・ヒューストン→医者
ルイス・ヘイワード→ロンバード/チャールズ・モーリー
ローランド・ヤング→探偵のブロア
ジューン・デュプレ→秘書のクレイソーン
ミッシャ・オウア→王子のニキータ
C・オーブリー・スミス→将軍
ジュディス・アンダースン→エミリー・ブレント女史
リチャード・ヘイドン→執事のロジャース
クイーニー・レオナード→執事の奥さんのメイド
ハリー・ソーストン→船頭
ルネ・クレール監督の演出はよいと思います。
原作はアガサ・クリスティーの有名な小説です。
脚本はダドリー・ニコルズ。
ルネ・クレール監督の得意のユーモア感覚もさえています。
島をロングショットは合成というかマット画のようです。
タイトルは波が被ると表示が切り替わる凝った物です。
凝ったタイトル負けしていない本編であることを祈ります。クレール監督ですからまあ大丈夫でしょう。
ある島に客を乗せて小舟がやってきます。
一応エンジンで動いている舟です。金曜から始まっている話しです。船便は週に2回とのことです。ですから舟が帰ってしまったら次に来るまで島は密室状態となります。
8人いる中で7人は別荘の借り主のオーエン氏に招待されたとのことです。
そのうち1人はオーエン氏に秘書で雇われて来ています。
屋敷では旦那の執事にメイドの奥さんがここに来るのではなかったと文句を言っています。
島の名はインディアン島とのことです。
10人のインディアンの話しを秘書がして、ニキータ王子はピアノを弾いてその歌を歌います。王子といっても没落貴族でパーティを渡り歩いているような男です。
で、午後9時にオーエン氏の声が鳴り響いて10人それぞれの過去の悪事を並べ立てます。これは本人不在のレコードでした。本編ではグラモフォンと言ってます。
余計なことを言うオーエン氏は誰だとなりますがここに来ている全員はオーエン氏のことを知りません、意外な展開となっています。
さっそくニキータ王子は酒を飲んだとこで死に至ります。
毒殺とのこと。それに合わせて食堂のテーブル上にあるインディアン人形10体のうち1体が壊されています。犯人は律義な行動をとっています。
朝になってメイドが起きてこない。死んでいるとわかります。これは画面外のことで処理されています。10人のインディアンの話しを通りに死んでいるとなります。
探偵が怪しい行動を覗いているうちに覗きのしり取り状態となり次々と覗きが4人続いて、そのままぐるりと一周して元の男に戻ったりします。こういうのは大好き。
雨が降ります。オーエンは見つからず。
将軍が背中にナイフで死に至ります。これも画面外で処理。
判事はオーエンは生き残っている犯人は我々の中にいると発言します。ビリヤードを使って説明しています。まず死んだ3人は消える云々とやっています。このシーンはいいですね。
執事が私は違うと言い分けしています。これもいいシーンです。
私にしてみれば1番怪しいのはエミリー・ブレント女史となります。それは『レベッカ』(1940年)で怪しい召使いを演じていたジュディス・アンダースンだからと何の根拠もなかったりします。
そんなことから投げやりな執事はだんだんと人が減っていくので今日の夕食は何人?とか言っています。面白い。
誰が犯人なのか無記名投票をします。執事にも指名があったので執事はヒステリーを起こして飲めない酒を飲んだり、あなた方の夕食はないと言います。これにはあわてる招待客の方々です。
島には猫がいます。これを見て私らは猫なのかネズミなのかどっち?のセリフがあります。洒落ています。
インディアン人形の数を確認して戸締まりをして鍵を執事に預けて寝ることになります。ふてくされている執事は別練の納屋で寝ています。
時間の経過を波のシーンで描写しています。古典的な手法です。
朝になります。執事は斧で頭をやられて死に至っていた。そんなわけで食事はみんなで作ることになります。
エミリー・ブレント女史を疑う人達。
ですがブレント女史はベッドで首に注射を打たれて死に至っていました。
判事と医者が2人きりになるのが嫌でロンバードに来てくれと同時に叫ぶとこがあります。面白いシーンです。
発電機が故障して探偵が修理に失敗します。これで夜はロウソクしかないことになります。
夜になります。真っ暗です。
自分の関しての真実を話す男達。秘書が話しをせずにコートを2階に取りに行ったとこで一騒ぎとなり判事が射殺されます。
怪しい秘書の部屋に鍵をかけて寝ることになります。
夜中に医者がいなくなります。
ロンバートは秘書の部屋に行ってこの件に関して相談をします。
朝になって表で双眼鏡を見ていた探偵が石を落とされて死に至ります。
ここは犯人は見せないが犯行は見せていました。いよいよクライマックスかとなります。ところで探偵は何を見てわかったと言っていたのでしょう?謎だ。
ロンバートと秘書が海岸に行くと医者が溺死していました。
私は別人のチャーリー・モーリーだと名乗るロンバード。ここで2人は一芝居をうって秘書がロンバードをリボルバーで撃つ振りををします。倒れるロンバード。
館に戻った秘書ですが他に誰かいます。
その誰かとは?で話しは進みます。で、キャスティングシステムに従って1番有名な俳優が犯人となっています。落ち着くとこに落ち着いたようです。
ラストですがおそらく原作とは違うのでしょう。希望を持たせるハリウッドらしいラストとなっています。悪くはないと思います。
バリー・フィッツジェラルドとウォルター・ヒューストンの有名な俳優2人のやりとりは見ごたえがあります。2人きりになると殺されるのではと不安を感じるシーンが面白い。ユーモアがいい。
他の俳優さんも好演していました。女優さんがあまりなじみがないのが惜しいとこです
そんなわけでルネ・クレール監督らしいユーモア感覚の優れたよい作品でした。ですが原作ファンの人には不満があるかもしれません。
日本で劇場公開されたのは1945年からかなり遅れてだと記憶しています。多分IP配給で作品紹介をTVで見た覚えがあります。
原作は読んだような気がするが完璧に忘れています。この映画を見るにはちょうどいい状態でした。
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はじめまして。以前から見させていただいています。
>ラストですがおそらく原作とは違うのでしょう。
>希望を持たせるハリウッドらしいラストと
>なっています。悪くはないと思います。
誤解している人が多いのですが、元々原作は2バージョンあるのです。
よく知られているバージョンが全滅エンドの小説版。
その少し後に作者自身に書かれた生き残りがいる戯曲版。
このルネ・クネール版も含めて、歴代の映画版は戯曲版の方が原作です。
戯曲版での変更の理由は、推測ですが、元々小説版を読んでいる観客が多いことを想定して別展開にしたことと、小説版の「最後に、読まれるあてのない犯人の残した告白の手紙の内容が掲載されて、真相が読者に明らかになる」という手法が舞台劇ではやりづらかったことがと思われます。ほかにも小説版は、文章表現でないと成立しない手法が色々ありまして。
投稿: ut_ken | 2008.11.15 00:02
ut_kenさん、コメントありがとうございます。
『そして誰もいなくなった』に戯曲版があるなんて全然知りませんでした。
私は原作を勝手にハリウッドスタイルのハッピーエンドに改変したと思っていました。
戯曲版をそのまま映画にしたということになるのですか。なるほど。
貴重な情報をありがとうございました。新しいことを知るのはいいものです。
投稿: ロイ・フェイス | 2008.11.16 14:39