『ブッチャー・ボーイ』(1997年)
この作品はニール・ジョーダン監督の異色ドラマです。
幻想のマリア様が登場しているのが興味深いとこです。本『ザナック ハリウッド最後のタイクーン』 によると『聖処女』(1943年)で試しに聖母マリアを撮ったらジーグフェルドガール(ミュージカルでバックのいるダンサーのようなもの)みたいになってしまいそれを見た脚本のジョージ・シートンが恥ずかしさのあまり死にたくなり原作者のフランツ・ヴェフェルは世間に訴えて問題にしてやると揉めたそうです。そんなわけで、この作品が幻想のマリア様をどう映像化するか興味深いものでした。
なおこの文はネタバレ全開となっています。
1997年 ゲフィン・ピクチャーズ/ワーナー アイルランド=アメリカ作品
ランニング・タイム◆111分
原題◆The Butcher Boy
プロット◆ある少年のこれが悲惨なのかそうではないのかよく分からない物語です。
音楽◆Elliot Goldenthal
スカイパーフェクTVTV315スター・チャンネルにて。画質はよいです。
キャスト
イーモン・オーウェンス→性悪のフランシス・ブレイディ少年
スティーブン・レイ→父ベニー・ブレイディ/成長したフランシス
エイズリング・オサリバン→母アニー・ブレイディ
フィオナ・ショウ→ニュージェント夫人
アンドリュー・フェラートン→絡まれるフィリップ・ニュージェント
アラン・ボイル→フランシス少年の親友だったジョー
イアン・ハート→部下が10人のアロ叔父さん
ブレンダン・グリーソン→施設のバブルズ神父
マイロ・オシア→施設の変態サリバン神父
パット・マッケイブ→施設の下働きで年上の友人ジミー
パット・マッケイブ?→ダンスに行った年上の友人ジミー
ピーター・ゴーウェン→肉屋のレディ
ジョン・コバナフ→ボイド医師
シンニード・オコーナー→幻想のマリア様
ニール・ジョーダン監督の演出はよいと思います。
子役が全編出ずっぱりな話しに子役嫌いの私が見ててついていけるのか?イマイチ不安でしたがその点は全然大丈夫でした。
始まって全身包帯の少年フランシスの姿でナレーションがスティーブン・レイになって始まります。何故ナレーションがスティーブン・レイなのか。ラストになって分かります。最初に少年の回想で始まるのが少しトリッキーになっています。
フランシー少年は家出する。土産をもって家に帰れば母が死んでその葬式の最中でした。ここで逆恨みしてニュージェント家に入り込み乱暴狼藉を働いてる時にナレーションと会話していました。で、施設に送られます。施設ではいじめられることもなく他の連中を田舎っぺ呼ばわりしていました。
施設で奉仕作業の最中に神と話しをするフランシー少年。ここでマリア様と会話します。その後にもマリア様は出てきます。
手紙から親友ジョーが他の人の親友になってしまうという重要なことがおこります。
この施設のサリバン神父は変態でフランシー少年からマリア様の話しを聞いてマスターベーションをしていることになっていました。こんな描写を入れていいのかいと見ている方が心配になります。シンニード・オコーナーのマリア様も問題がありそうですけど。この神父を弁護するセリフで「完全な人間はいない」とありました。これは『お熱いのがお好き』(1959年)のラストの決めセリフでギャグだと思われます。
施設を無事に出てフランシー少年は肉屋で働きます。家では家事をしてて母のエプロンをしているのがポイントになっています。
そんなこんなで年上の友人とダンスホールに行って叩き出されます。
父が死亡しているのを隠していることを発見されて精神病院送りとなります。この設定から連想するのが増村保造監督の『大地の子守歌』(1976年)です。悲惨の程度からいうと『大地の子守歌』の方がひどかったような。祖母と2人暮らしのヒロインの女の子が祖母が死んでいるのを隠しているのを見つかって女郎屋に売り飛ばされてしまう設定でした。
精神病院ではそこの分析医の部屋の壁にマリア様とケネディが飾ってありました。どういう意図の組み合わせなのかよく分かりません。
フランシー少年は分析医にロボトミーのこと、アタマに穴を開けられるのかと尋ねればこれを見なさいとロールシャッハ・テストをされていました。
病院を脱走して親友ジョーの元に行けば拒絶され、そこの神父に「帰りなさい」と言われるが帰るところがない人には酷な言葉です。
で、マリア様がやってくる?とデマが流れて街の人達がその気になってるとこでフランシー少年はニュージェント夫人殺しをやらかしてマリア様とは別な見せ物を街の人達に提供します。
そしてフランシー少年は自分の家に放火したとこで全身やけどを負って本格的に施設送りとなって年月が経ち成長して熱演のイーモン・オーウェンスからスティーブン・レイに交代します。筋が通っているキャスティングです。
ところでスティーブン・レイはニール・ジョーダン監督の分身ですか。他の作品からでもそんな感じです。
そんなスティーブン・レイが俺の若い頃は馬鹿をやったなって説教演技を始めたら作品の出来が台無しになることですがそんなことはなくてホッとしました。
中年になったフランシー少年はマリア様と会話をして花をもらいます。これがラスト。これでフランシー少年は救われたということのようです。マリア様の話しは多少ピントが外れているけど少年の主観が入っているのでそんなものでしょう。
フランシー少年は何故あのようになってしまったのか。1人きりだから?、ですが1人でも狂うし、2人でも狂う、3人以上でも狂うものは狂う。そんなことから1人きりだから狂うというわけではないと思います。
フランシーの母アニーは美人でした。父がミュージシャンだからかもしれない。フランシー少年は多分マザコン。母を亡くした後に親友を失ってしまいます。これは堪えたでしょう。
いつ頃の設定なのかと思ったらTVシリーズ『逃亡者』とかキューバ危機のニュースが流れているので1960年代前半のようです。他に脳と脊髄で出来てる怪物が出てる映画が放映されていました。→『顔のない悪魔』(1958年)のようです。
ブッチャー・ボーイの歌が流れます。
シンニード・オコーナーがマリア様なので歌があったりします。スキンヘッドのオコーナーしか印象にないのでマリア様以外にも出ていたようですが分かりませんでした。このマリア様の映像化の出来はまずまずでした。センスのよさも必要ですけど合成技術が上がったのは大きいと思いました。
どんな話しかと思ったら『大地の子守歌』(1976年)とホトンド同じとは驚きました。
出来も負けずになかなかのもので感心しました。いろいろとあったが死なずに生きていて魂が救われるというとこが共通しているような。
そんなわけでこれは力作のよい作品でした。
『大地の子守歌』はある意固地な女の子(原田美枝子、熱演)が悲惨な目に会う話しです。お遍路になって百度参りをするシーンに回想がカットバックされてる構成でした。
梶芽衣子がきれいすぎなのが印象的。ヒロインを助けるキャラでまるで天使のようでした。父母がいないヒロインにとって助けるキャラ2人梶芽衣子が母で岡田英二が父になるのか。と、こちらも凄い力作です。
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