『東京画』(1985年)
この作品はヴィム・ヴェンダース監督が小津安二郎監督について1983年の日本を背景にして語るドキュメンタリーです。
少し見て面白かったので見ました。ちなみに私は小津安二郎監督信者ではありません。
なおこの文はネタバレ全開となっています。
1985年 リバースアングル アメリカ=西ドイツ作品
ランニング・タイム◆90分
原題◆Tokyo-Ga
プロット◆1983年の日本に小津安二郎監督作品の面影があるのか?と探訪するドキュメンタリーのようです。
音楽◆Laurent Petitgand
◆スカイパーフェクTVTV260シネフィルイマジカにて。
画質はまあまあ。
◆スカパー! CS227 ザ・シネマにて。
画質は普通です。
スクイーズ収録録画のフル表示。
画面サイズはスタンダード。左右に黒味あり。
音声はAAC 2.0ch
この録画ではヴィム・ヴェンダース監督の前説があります。
一応ベルリンに住んでいてベースにしてるようです。ロサンゼルスではないんだ。
無理やり日本語を使ってサービスに励んでいます。映画監督は色々と大変なようです。
そんな感じで愛想はいい。
小津安二郎監督が私の唯一の師匠ですと断言しています。マジ?
師匠と同じでアクションはダメですと言ってる。そりゃそうです。
このビデオレターの映像はスタンダードサイズ。画質はさすがにVHSではない。
私の映画見て寝てもいいと言ってる。映画を見ても寝ててもいい気持ちになってくれればいいそうです。何だか投げやりなビデオメッセージです。
キャスト
笠智衆→インタビューされる俳優
ヴェルナー・ヘルツォーク→東京タワーにいる知り合いの監督
厚田雄春→インタビューされる撮影担当カメラマン
ヴィム・ヴェンダース監督の演出?はよいと思います。
ナレーションはヴェンダース監督自身が担当しています。フランス語らしい。ヴェンダース監督はドイツ人ではなかったのか?小津安二郎監督のドキュメンタリーなんてドイツ人は誰も見ないのからフランス語なのかな?本編中でヴェンダース監督自身の姿は全く映りません。
→再度見直したらナレーションはフランス語ではなく英語でした。『東京物語』(1953年)のフランス語字幕からナレーションもフランス語だと思い込んでいたようです。
ここんとこずっと英語の勉強をやってるので、今回見てこれは英語だとわかった。
リバースアングルのタイトル
モノクロの松竹映画のタイトルで始まります。
小津安二郎監督の代表作とされる『東京物語』(1953年)です。フランス語字幕付で本編が少し流れます。
母国語の映画は字幕がいらない。実にいいものです。
私は小津安二郎監督作品は2本しか見ていません。
『東京物語』(1953年)と大映で撮った『浮草』(1959年)だけですからそんなにくわしくはないです。
小津安二郎監督は演出技法に制約があり過ぎという印象があります。何しろ、カメラ固定のフィックスショットだけ。ですからバンニングもカメラの移動ショットもありません。フェイドは使いません。溶暗は使いません。回想は使いません。これくらいだと思う。溶暗は使っていたか?
これで会話シーンで切り返しをやってくれなかったら、ただでさえ眠くなるので普通は寝ているでしょう。
小道具に関するエピソードが溝口健二監督と同じなのが不思議。
巨匠の共通点なの?監督の望む小道具が見つからなくて代わりの似た品物を持っていったが大丈夫だったというエピソードです。
関係ないけど私は沢村貞子と杉村春子を混同しています。口うるさそうな方が杉村春子なのでしょうか?
この作品はヴィム・ヴェンダース監督は1983年に日本に来て撮影したそうです。
旅客機の中の映画は何だ?→帽子を被った老人のヘンリー・フォンダが出てるので『黄昏』(1981年)のようです。
1963年に小津安二郎監督が亡くなってから残っている風景はあるのか?・・
そんなことをで1983年の日本の通り一遍の風俗が見れます。
結構カメラを意識している一般人々。ちらっとカメラを見るとこが何ともいえないシーンです。
墓場で花見をする人達。
電車の改札での切符切り。現在ではない風景。
パチンコ屋の風景。結構長い。
ヴェンダース監督はパチンコ屋通いをしたそうです。パチンコをしたのかは不明。もしかしてパチンコをやったらスッたのでカットしたのかもしれません。ガラスを叩いて思わず母国語でカネ返せと罵る姿が想像出来ます。
出玉は景品と交換する。非合法では現金とも交換出来る。と一応紹介しています。
タクシーに乗るヴェンダース監督。車内TVでは当時のCFや『タモリ倶楽部』のタイトル部分等が流れます。
TVではジョン・ウェインが納谷悟朗の吹替で日本語を喋った後に君が代が流れるNHKの番組終了タイトルとなります。このNHKの番組終了タイトルは日本人でも気になります。
納谷悟朗が吹き替えしてるジョン・ウェインの作品は何だろう。『チザム』(1970年)か?
ブラウン管TVですがメーカーがわからん。ロータリー式チャンネル切換ではなくボタンが並んでるチャンネル切換のTVです。
一転して笠智衆へのインタビューとなります。
あまり興味深いことは言っていません。誰に気を使っているんだと邪推したくなるぐらい物足りないインタビューでした。
もしかして山田洋次に気を使っているのか?となります。小津より偉いのか山田洋次は?→山田が生きているうちはそうなのでしょう。死んだら忘れ去られます。
撮り直しはそんなにはなくて自分だけはあったと言ってました。
小道具等は全部小津安二郎監督自身で決めていたとなっていました。
駅のホームにて。おばさん達に囲まれて記念写真を撮られる笠智衆。
このシーンがこの作品で1番よかったりします。
北鎌倉の小津安二郎監督のお墓を訪ねます。
墓参りまでちゃんと笠智衆は来ています。
名前のなく『無』の文字だけがある墓です。
小津安二郎監督は1963年に60歳で亡くなったそうです。
電車で東京に帰るヴェンダース監督。並んで走る電車のシーン等で結構長い。
またパチンコ屋に戻るヴェンダース監督。
釘師の仕事ぶりの描写。当たりの台でも釘師が調整すれば次の日はハズレとなるそうです。
墓場で三角ベースをやる子供たち。何となくやらせのような感じがします。
それよりその背後で黙々とシートを引いて一人きりで花見の場所取りをしている男性の方が印象に残ります。これはいい。
ヴェンダース監督はカラスの鳴き声は嫌いなようです。
カラスが嫌いでは日本、特に東京には住めないですよ。サッカーのマスコットで3本足のカラスもいることですしカラスは実質的な日本の国鳥だと思えます。
ゴルフ練習場へと行きます。
ネットが囲まれ打つだけの練習しか出来ない後楽園ジャンボゴルフ。
この人達はゴルフの目的のボールを穴に入れるではなく完璧なフォームのみを目指していると言ってます。
外では新聞紙でゴルフのスイングをチェックしているオヤジ。これは典型的な描写です。
待ち時間にはTVではプロ野球中継が流れています。これがドイツ人には珍しいようです。他のとこでも毎晩必ずプロ野球中継が流れていると感心?しています。ドイツ人には理解出来ないでしょう。
食品見本製造工場に行くヴェンダース監督。
基本的には現物から型を取ってロウで作るようです。他にも色々と作り方があるようです。これもノウハウ?
何故か工場での社員の昼食のとこは撮影を断られそうです。
ここのシーンは結構長かった。それにしてもここは何だか投げやりな仕事に見えます。
東京タワーに行くヴェンダース監督。
展望台にはヴェルナー・ヘルツォーク監督がいます。
ここには何もない、もう撮るとこがないと嘆くヘルツォーク監督。別に東京だけのこはではないようです。考古学者のように捜すしかないと言ってます。よくわからん。
1983年にドイツ映画祭が行われたそうで、ですからヴェンダース監督もヘルツォーク監督も日本にいたということらしい。
東京ディズニーランドに行くヴェンダース監督。
途中でアメリカのコピーだからと思い行くのをやめてしまいます。やめてよかったと言ってます。雨模様だからやめたのでは?
公園で踊る人達を見るヴェンダース監督。
当時は流行っていた現象です。今見るとオリジナリティのかけらもない全部コピーではないですか。珍妙です。1970年代がダサいと思ってましたがダサさでは1980年代も負けていないようです。外国人が日本の風俗を撮る時はみっともないとこも撮ります。情け容赦がない。事実なのですから国辱ではないでしょう。
男2人でダンスの練習するシーンが面白かったりします。
ケームセンターのシーン。タクシーのシーン。
新宿にてクリス・マルケルと会うヴェンダース監督。写真家でスティルをつないだ短編の『ラ・ジュテ』(1962年)で有名な人です。
小津映画には必ず列車が出ると言ってます。
小津安二郎監督の撮影担当カメラマン厚田雄春にインタビューするヴェンダース監督。
ミッチェル、50ミリレンズ、フッィクス、ローアングル、と専門用語が出てきます。よくわからん。
構図は小津監督自らがカメラを覗きチェックして決めていたとのこと。
小津監督はロケが嫌いだそうです。やじ馬が嫌いなそうです。
室内はセットで列車内とロケとのこと。列車内をセットで作ってもチャチに見えるからだそうです。
カメラではなくキャメラと発音している厚田雄春氏。映画関係者はこれが普通の発音のようです。
小津監督が愛用していた特製ストップウォッチの紹介。1秒24コマでしたっけ?これが計れる映画用になっているとのことです。
小津監督の撮影用台本の紹介。色々と書き込みがされていますがヴェンダース監督には全く理解できないとのことです。日本語なのでそりゃそうだ。
そんなわけで1983年の日本の風俗が見られる結構面白い作品でした。
どうやら小津監督作品の風景は残っていなかったようです。少なくとも表面的には残っていません。
お遊びで2つに1つ、どちらを選ぶ?
カメラの動く溝口健二監督とカメラが固定の小津安二郎監督では?→カメラの動きがある溝口健二監督を選びます。
いいショットを撮るならいくらでも待つ黒沢明監督と待たないでミニチュアと編集で組み立てる円谷英二特技監督では?→1954年作品志村喬主演で本編は湿っぽいがアクションはよいのが共通点の『七人の侍』『ゴジラ』を比べれば本多猪四郎監督-円谷英二特技監督の『ゴジラ』を選びます。
→『ゴジラ』(1954年)
最近は重みを増し過ぎて動きが取れなくなって黒澤化している宮崎駿監督と、わけわからんと誰にも止められませんとゴダール化している押井守監督では?→1984年作品の『風の谷のナウシカ』(1984年)と『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)を比べれば私は押井守監督作品の『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』の方を選びます。
東映と松竹では?→どちらも嫌いです。私はヤクザ映画とホームドラマは嫌いなのです。両方とも同じようなものです。
◆2000年代に入って好調といわれる日本映画のことで・・・
◆製作に、何とか委員会、という表記が多くなってからか?・・・
◆製作資金の集金とタイアップ。
◆映画の製作資金を集める。
◆タイアップを押し込む。
◆最初から興行で利益を出す気がないように思えます。
◆ですから商業映画になっていないのです。
◆豪華な雑誌の手法、広告目当てで、広告満載で記事はどうでもいい。この手法を映画製作に使っているようです。広告はタイアップで、記事は映画本編となります。こんな映画では見る気がしない。
◆そんな感じで映画を製作するまでが勝負で、後はどうでもいいようです。
◆製作後のフォローは映画業界が勝手もやってくれる。興行成績と批評は適当にでっち上げてくれます。
◆河原乞食な映画業界は何でもいいからとにかくカネが入ってくればいいとしているようです。
◆妙な自称映画プロデューサー達と映画業界、いい加減同士でいいコンビのようです。
◆このような日本映画はあまり見る気になりません。
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